信仰心、カリスマ、強豪校、驚き、畏敬、裏切り
以前の投稿で、「強いチームには信仰心に似た力がある」というものがある。「〇〇高校に入り、〇〇監督のやり方についていくことで、甲子園に行ける」というもの。人は大多数に従うことが多く、少数派には懐疑的である。多くの選手は「弱いチームのやり方はどこか間違っている、強いチームがやっていることは正しい」という思い込みである。だから、弱いチームはどこか不安定で、練習がおぼろげで、浮足立っているように見える。
世の中の「カリスマ」と呼ばれる人たちは、その信仰心を生み出す。結果が出ていることもあるが、「人を引っ張るなにか」がある。人望・巻き込む力・人にはできない行動力。強烈なリーダーシップで(強烈な牽引力ともいうべきか)、チームを前進させる。合理的かを問わず、まさに「人が人を動かす」を体現したような人物である。
平均値から離れることで、「すごい」と思う。自分の予想していたことよりも上回ることで、「驚く」のである。そこで「尊敬」「畏敬」というものが生まれる。つまりそういう状態を作り上げるためには、他人の想像を超えなければならない。平均値のなかで収まるのであれば、他人はそれを受け入れることはないし、その人が生み出す信仰心を持つことはないだろう。
しかし、どうやらそれだけではチームは強くならないというのが近年思うところである。
もちろんマネージャー、監督がその「平均値から離れた」人間であることは必要な要素かもしれない。それと合わせて、「プロセスの明確さ」が必要なように思う。
今わたしたちの身の回りには、情報が溢れかえっている。そのなかで、信仰心のみをもたせ続けるのは難しい。「〇〇高校の練習は・・・・・」という情報も、関係者内では簡単に出回る。選手間・親の関係性でも、すぐに広まる。そうなるとSNSを禁止したり、携帯電話の使用を禁じる場合もある。昨今では禁止しにくい世の中にはなってきた(実際に禁止しているところは存在するが)。そのなかで、いかに「ゴールまでのプロセスが明確に描けているか」が分かれるように思う。
冬季練習での
「月に1万本スイング」をやるよりかは、
「1ヶ月でスイングスピードを5キロアップのための練習」
のほうが、より明確で、効果を実感できるのではないだろうか。
私は「明確にする」ことが選手のためであるし、選手が迷わず練習できる最善であると思っている。スタッフ間では「明確さ」を度々口にするし、「時間対効果」を口にする。時間に限りがあるのだから、その時間のなかで最も効果を高めて、よい練習にしたい。そのためには、「どんな練習をするのか」「それによってどんなことが達成されるのか」をより明確にしたい。
明るい道はであれば、迷わず進むことができる。そこに信仰心が生まれる。私はそう思っている。