2020年4月23日木曜日

弟子入りするということ


実は私、弟子入りしていた期間があるんですよ。野球指導の弟子入りです。かつて教わった、それはそれは鬼みたいに怖い監督の元へ出向いて、指導のイロハを教わりにいきました。当時を思い出すと、「自分には選手としての才能はないが、指導者としてなら花を咲かせられる」なんて考えていたようなんです。しかしね、しこたま怒られましたよ。2年弱でしたが、本当によく怒られました。僕が気が利かなくて、不出来だったんです。その後加えて2年、そのチームに残りました。大学野球を指導した人、元プロの方、色んな方から学びました。合計4年間は、僕の指導者としての「修行期間」でした。


徒弟制度なんて、この時代は流行らないんですよね。残っているのは芸能分野だけでしょうか。伝統工芸品も跡継ぎがいない、なんて言われたりしています。少なくとも僕の身の回りに、「〇〇さんの弟子です」なんてものを聞くことはありません。堀江貴文さんは、寿司屋の徒弟制度をざっくり否定されておりました。なんでしょうね、一理あるよなうな、なんだか寂しいような気もします。

「マニュアル化してみんなが技術を習得する」「システムを構築して循環サイクルをつくる」とか、これはすごく大事なことだと思います。某ファーストフード店でアルバイトしていたときは、マニュアルやシステムの重要性を大いに学びました。それは組織として持つべきものだと想います。


日本史には「鑑真」という人が奈良時代に出てきます。鑑真さんは中国でめちゃくちゃ有名なお坊さんで、わざわざ失明しながらも日本にきてくださった方です。当時の日本が請うたことによって鑑真さんがいらっしゃったのですが、何をしにきたかといえば、「戒律」を伝えるために来ました。この「戒律」というのは、お坊さんとしての「証明書」みたいなもので、これをもらうと「オフィシャルお坊さん」になれます。中国のえらいお坊さん公認のお坊さん、みたいな。戒律をもらったお坊さんは、国家公務員的扱いでした。


奈良時代、税がかなりハードだったんですが、お坊さんになれば税がかからないことになってたんですね。だからみんな「私度僧」って言って、「自称お坊さん」みたいな人がたくさん出てきてしまったのです。ときの政府は戒律を授かった「オフィシャルお坊さん」を増やして、ちゃんとした仏教をやっている国にしたかったのです。かつ、税逃れの私度僧を駆逐したかったのです。そのために当時の中国のスーパースターである、鑑真さんにわざわざ来てもらったんです。



今令和の時代、この「私度僧」みたいな「自称〇〇」が溢れている世の中になっている気がするんですね。ぼくかて「自称野球ブロガー」ですし、「自称野球ツイッタラー」です。自称で本当にすごい人もいますよ、行基っていうカリスマ私度僧もいました。でも自称で本当にすごい人って1%じゃないですか。みんながみんなすごい、ってわけじゃないですよね。「〇〇風味の食べ物」って、風味はしますけど、所詮風味どまりで、本家を超えられない。


私は、「だれでも〇〇できる」時代だからこそ、然るべき場所や人に学び、然るべき資格や証書・証明・承認を受け、然るべき対象に力を発揮する、ことが望ましいと思っています。奈良時代だったら、絶対に戒律を授かって正式なお坊さんになったほうがいい。「自称医者です」という人を、どれだけ信じられますか。医師免許を捨て闇医者に転身した、という説明を受けても不信感はゼロにはならないと思います。

野球の勉強をするなら書店に並んでいるプロ野球選手の自伝を読むよりは、理論が体系化された運動学の本を読んだほうがいいです。しかし本を読むだけよりも、もう一度大学に通って講義を受けて学位をもらった方がいいです。色んな段階があるにせよ、「自分がよりオフィシャルに近いもの」を得ることって、その業界にとって非常に大事なことだと思いませんか。


子どものおままごとであればね、「ぼく〇〇になりたい!」と言ってなってもいいと思うんです。鑑真が授けてくださる戒律は、ある種の国家資格です。そこに普遍性と歴史が込められています。伝統芸能を世襲した人は、その芸能を創始してから世襲する日までの歴史を共に受け継ぎます。300年、400年という歴史を受け継ぐ場合もありますよね。


これだけ多様性と可能性に溢れているのだから、もっと高いところを目指す、より高いところに行くのであれば、「普遍性」と「歴史」を獲得する・もしくは証明・承認してもらう。なんかバラバラとしてしまいましたが、それがすごく大事な気がするんです。

2020年4月12日日曜日

希望


漏れなく私の学校も休校になっており、漏れなく部活動は停止状態ですから、かつてないほどに伸びやかな時間を過ごしています。春先は新年度準備でバッタバッタしておるのですが、びっくりするほど緩やかです。もちろん例年の対応との違いとしてバッタバッタはしていますが、クラス開き・授業開きが行われないので、まだ何もはじまっていない。そんな感じです。


その間に何をしているかといえば、ひたすら授業の準備をしています。専門書を読み、プリントをつくり、問題を解き、授業の予習をしています。今年度は国公立クラスの授業も持つことになったので、より一層深い準備が求められているわけです。何度掘っても、何度掘っても、まだまだ底は見えてきません。やることは尽きません。担当教科は日本史なのですが、掘れば掘るほど日本史の面白さが見えてきて、これまでとは違った光景があらわれそうです。


世の中では色んな感情が飛び交い、たくさんの言葉が飛び交い、議論が行われ、非難をしたり、称賛をしたり。「社会が混乱する」というのは、このことを指すんだと思います。まるで映画を観ているような、そんなシーンが毎日テレビで流れています。すごい瞬間に出くわしているんだと、きっとあとから改めて思うんだと思います。僕は世界大戦を経験することは今のところないのですが、パンデミックを目の当たりにしています。人類が語り継がねばならない、私が仕事として語り継がねばならない出来事を、肌身で感じています。


「やりがい」や「面白さ」や「豊かさ」というのは、すべて「生きること」の上に成り立っています。「生きている」からこそ、「面白さ」に出会うことができます。でも、「面白さ」を知っているからこそ、「生きている」のかもしれません。野球の面白さを知っている僕は、今この期間を我慢することができます。我慢すれば、きっと野球ができる。そう思っています。野球は、誰かに希望を与えることができるのかもしれません。うまく言えませんが、希望あふれる野球部を、希望あふれる選手たちを育てたい。そんなことを考えていました。

8月11日 東北学院vs愛工大名電

 8月11日 東北学院vs愛工大名電 5-3 東北学院〇 かんたんなまとめ:初出場の東北学院が優勝候補の名電を撃破。 140キロトリオと激戦区を勝ち抜いてきた名電だったが、東北学院伊東投手の前になかなか点を取ることができない。初出場かつ新聞記事C評価の東北学院、投打がかみ合い長打...