漏れなく私の学校も休校になっており、漏れなく部活動は停止状態ですから、かつてないほどに伸びやかな時間を過ごしています。春先は新年度準備でバッタバッタしておるのですが、びっくりするほど緩やかです。もちろん例年の対応との違いとしてバッタバッタはしていますが、クラス開き・授業開きが行われないので、まだ何もはじまっていない。そんな感じです。
その間に何をしているかといえば、ひたすら授業の準備をしています。専門書を読み、プリントをつくり、問題を解き、授業の予習をしています。今年度は国公立クラスの授業も持つことになったので、より一層深い準備が求められているわけです。何度掘っても、何度掘っても、まだまだ底は見えてきません。やることは尽きません。担当教科は日本史なのですが、掘れば掘るほど日本史の面白さが見えてきて、これまでとは違った光景があらわれそうです。
世の中では色んな感情が飛び交い、たくさんの言葉が飛び交い、議論が行われ、非難をしたり、称賛をしたり。「社会が混乱する」というのは、このことを指すんだと思います。まるで映画を観ているような、そんなシーンが毎日テレビで流れています。すごい瞬間に出くわしているんだと、きっとあとから改めて思うんだと思います。僕は世界大戦を経験することは今のところないのですが、パンデミックを目の当たりにしています。人類が語り継がねばならない、私が仕事として語り継がねばならない出来事を、肌身で感じています。
「やりがい」や「面白さ」や「豊かさ」というのは、すべて「生きること」の上に成り立っています。「生きている」からこそ、「面白さ」に出会うことができます。でも、「面白さ」を知っているからこそ、「生きている」のかもしれません。野球の面白さを知っている僕は、今この期間を我慢することができます。我慢すれば、きっと野球ができる。そう思っています。野球は、誰かに希望を与えることができるのかもしれません。うまく言えませんが、希望あふれる野球部を、希望あふれる選手たちを育てたい。そんなことを考えていました。
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