2020年3月19日木曜日

選抜システムから育成システムへ


 

野球界に危機感を持つものの一人として、私も同様に「今のままで野球は生き残れるのか?」という疑問をいつも持っている。国民に愛され、成果を残し、たくさんの競技人口を抱えているなかで、もしかしたら今後消滅していくのかもしれない。野球が消滅していく未来は、もしかすると遠くない未来なのかもしれない。一人でも多く危機感を持って何かしらのアクションを取ることで、未来に影響を与えることができるはずだ。「バタフライ効果」のように、私達の小さな一歩が未来の大きな変革につながると信じている。革命はいつだって民衆の力が引き起こしているのだ。


今回のタイトルは、「選抜システムから育成システムへ」とした。従来の野球は「大量の練習を課し、それを乗り越えたものだけが試合に出場することができる」という、チーム内における選抜システムの側面が強かった。野球人口が減った現在では、それは通用しなくなりつつあるのではないか。「育成システム」が確立しているチームが、もっと多くなることが未来の野球界のためによいのではないか、むしろそうならないと日本の野球界は危ない。そんな気がしているのである。


◎選抜システムとは

練習は自分でやるもので(もちろん私も同意する部分もある)、試合に出られない選手は練習していない、練習についていけてない、能力が不足している。試合に出場できる選手は「ふるい落とし」に勝った選手で、体が丈夫で、怪我が少なく、感覚が優れている選手であった。100人の部員のなかで、固定された15名を1年間起用し続け、勝利に導く。他の85名は球拾いで、プレイすることができない。一度も公式戦を経験することなく、3年間で10打席も立つことなく、高校野球が終わる。

野球界に長く身を置いていると、こんな話を上の世代の方々から聞くことがある。団塊の世代・団塊の世代Jrなど、日本は人口が多い時代をこれまで過ごしてきた。人が多い時代において、この考え方は少しわかる気もする。「殴られて、罵声をあびせられて、それで強くなった」という話。アスリートファーストがスポーツ界の常識になりつつある昨今、是非は言わずもがななのかもしれない。実際「野球を選ばない」「他競技を選ぶ」ようになった子どもたちが多いという事実からわかることは、野球はもはや「日本スポーツの横綱」ではないのかもしれない、ということだ。手放しで子どもが集まると思ったら大間違い、なのである。


◎供給システム

私が日頃高校野球界に身をおいて感じるのは、「変革の難しさ」である。選抜システムといってもピンキリで、ハードにやっているところもあれば、ソフトなところもある。しかし選抜システムを遂行している指導者たちが、根底には同様の思想を持ち合わせていることが多い。現場ではハードかソフトかいかにせよ、選抜システム、ふるい落としの野球を経験しており、その経験に基づいて指導観を形成している。


プレイヤー中~上位層においては、小・中・高・大・社とふるい落としを何度も経験し、そのたびに勝ち進んできた。強豪が強豪たる所以なのは、「下のカテゴリにおける、ふるい落としで残った選手を獲得し、さらに自カテゴリでふるい落としにかけ、残った選手で闘う」のである。強豪校・チームは選手供給のパイプラインが必ず存在している。かんたんに言えば「うまいやつはずっと上手いチームにいる」ので、「強い高校はたいてい強い」し、弱い高校から抜け出すのは簡単ではない。そしてOBが指導者として戻ってくる、監督が内部昇格する。また同じ連鎖が起こる。これが「カテゴリの固定化」である。この状況がある限り、高校野球界の変革は難航するのではないか、と思っている。ちなみに私自身は中位のプレイヤーだが、とあるパイプラインによって仕事を獲得しており、その恩恵を受けている。


◎カテゴリの固定化現象と戦力均衡

「カテゴリの固定化」現象は、「適正な勝負が行われる」という意味では悪いことではない。大学野球でも1部リーグと3部リーグ、ここには選手の熱量も技術も差があるだろう。「野球をやってきた」選手と「プロを目指してやってきた」選手、勝負として成り立つ可能性はあるが、リーグ戦として観たときに面白みに欠けるかもしれない。ジャイアント・キリングは勝負の面白さの一つだが、ヒリヒリするような接戦もスポーツの醍醐味である。東都1部が面白いとか、甲子園のベスト8はいい勝負が多いというのは、実力差が少ないからこそ、である。これはカテゴリがある程度固定化されるからこそで、戦力均衡状態で試合が行われるからこそ、である。


「カテゴリの固定化」によって、野球界でも棲み分けがなされることになる。リトルリーグと少年軟式、中学軟式やクラブチーム、大学・社会人、などは、ある程度の棲み分けが行われている。日本独自の軟式野球という文化は、入門編としてはありがたい。ローカル大会も多い小・中では出場機会に恵まれることもあるだろう(チームにもよるが)。


◎高校野球の危険性

ここで問題なのが高校野球で、全国の高校が一斉に大会に参加できてしまう。プロを目指している選手層のチームと、楽しく野球がしたい層のチームが対決する可能性がある(というが現実にそうなっている)。理念上の問題という以上に、怪我する可能性がある。大阪桐蔭高校の打者らの打球を通常に処理できる高校生は、ある程度の経験値を積んでいる選手でないと危険がつきまとう。シードやコールドという制度があるにせよ、「スポーツハラスメント」とも言える状態だと私は思う。



◎供給システムを変える

いまやコロナウイルスは、世界の産業に大ダメージを与えている。いまや「世界の工場」と呼ばれている中国で発症してしまったために、工場が軒並み停止した。生産されないということは、物資が流れてこない。モノがなければ売れない。物流の停止である。「適切な供給がなければ、人々は困る」ということだ。1973年にオイルショックで人々はトイレットペーパーを(何故か)買い漁ったが、それも原油価格の高騰が原因である。石油が「入手しにくい」状況になった。すなわち、「供給システムを変える」ことは、人々の動きに変化をもたらすわけだ。


したがって、「選抜システム」から「育成システム」への移行することが、今後の野球界、特に高校野球界では必要になる。強豪校でなくても野球が上手になる、大学で野球ができる、充実した3年間を送れる、野球を楽しめる。坊主じゃなくても野球ができる、とか、練習が週4日だけで他は勉強もできる、とか。いろんなスタイルが出てきてもいいと思う。


選手が野球を通じて成長を実感し、スタッフは選手を支え、大会で結果が出ようと出まいと(出たほうが望ましいような気もする)、充実した3年間を過ごすことができるチーム。「このチームで成長できた」と思えるチーム。そういったチームを、子どもたちは選ぶんだと思う。すでに「育成システム」を構築して実績を挙げている学校は存在しているし、数も増えてきて、認知度が高まっていると思う。私はそういった学校を応援しているし、私自身もそんなチームを今後つくっていきたいと考えている。


今はまだマイナーなチームかもしれないが、育成システムが中心となったチームがメジャーとなっていけば、子どもたちはそちらに流れる。暴力や罵倒されるチームに行くのは、それ以上になにか見返りがあるから。強くなれるとか、進路がいいとかなので、育成システムのチームがそのメリットを内包することができれば、選手の流通に変化が起こるはず。選手供給システムが変化してはじめて、強豪校側の変化が生じてくるはずなのである。



◎結論

育成システムを構築することで、選手供給システムを変えることができる。それが高校野球の変革につながるのではないか、と仮定している。もちろん医療関係・トレーニング関係の専門家の知見も、同時に必要になる。むしろ「育成システム」を構築する側にとって、理論的根拠は不可欠である。考える余地は十分にあるので、どうやったら野球界のためになるのかを検討していきたい。




0 件のコメント:

コメントを投稿

8月11日 東北学院vs愛工大名電

 8月11日 東北学院vs愛工大名電 5-3 東北学院〇 かんたんなまとめ:初出場の東北学院が優勝候補の名電を撃破。 140キロトリオと激戦区を勝ち抜いてきた名電だったが、東北学院伊東投手の前になかなか点を取ることができない。初出場かつ新聞記事C評価の東北学院、投打がかみ合い長打...