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2020年5月24日日曜日

高校野球産業


 春夏と高校野球の大会が中止になるという事態をめぐって、各メディアが大きく報道する。大きく報道されればされるほど、称賛も批判も上がってくる。「甲子園や高校野球が好きじゃない」という人も、普段はあまり聞こえない(聞いていない)こともあり、世の人々が抱くイメージをなんとなく感じた気がする。


●高校野球産業
 この自粛期間、動画で過去の甲子園の試合を見ていた。改めて甲子園という場の力を感じる。シートノック・整備が終わり、集合、礼。ここで沸き起こる拍手。サイレンと共に第一球が投じられる。一挙一動に歓声が上がり、劣勢のチームが追い上げ始めると、唸り声のような音がする。「スタンドが揺れているように感じる」とか、「球場全体が相手を味方しているように感じた」など、甲子園という場がもつ力は、18歳の野球選手たちの技術にブレを生じさせる。「甲子園の魔物」というのは、集団心理が現れているんじゃないかと思っている。


 どうしても疑問なのは、アマチュアスポーツの大会で入場料をとり、甲子園ではビールを販売し、各種メディアが大きく取り上げ発刊部数や数字取りに一役買っているにも関わらず、「教育として商業性を排除する」という高野連の姿勢が矛盾していることだ。甲子園のスタンドの様子は、「興行」の様だと私は思う。選手たちを観て感動を覚える方々もいるのだろうが、一方で彼らで利益を得ている方々も山程いる。そこを無視して、「教育だ」と言い続けるのは、もうやめてほしい。「高校野球産業」として成り立っているのは嬉しいことだし、注目度が高く、指導者も選手もやりがいが生まれる。しかしあまりにやっていることが矛盾していませんか、と思うわけである。


●指導者も産業の一部 
 そういいつつ、私自身も野球を教えてお金をもらっている部分があるので、「野球で利益を得ている人」であり「高校野球産業」のど真ん中にいる。実際野球選手のセカンドキャリアや進路選択の一つになる高校教員、高校野球の指導者。成り上がりたい指導者もたくさんいるわけだし、指導のみで生活できればいいが、そうではない人もたくさんいる。そのなかで、「甲子園」とはキャリアアップの手段である。高校野球はコーチが取り上げられることは少なく、監督が「甲子園〇〇回出場」などと説明されるので、甲子園出場は名刺代わりになる。現役時代に野球で成り上がれなかった人は、ある種再び成り上がる機会が与えられることになる。


 甲子園ばかりが注目・評価され、輝かしい光を放っている。一方で、甲子園の光によって影となっているものもある。高校野球のコーチがそうであるし、控え選手、怪我をした選手。大人数のチームで試合には出られない選手。最小で年間3試合しか公式戦がなく、かつその公式戦にすら出られない選手が山程いるが、それでも「高校野球教育」は成功したモデルですか?





 私は、残りの人生をつかって、この「甲子園主義」を変質させる一端を担いたいと思っている。多様化した社会であるからこそ、「多様化した高校野球」を求めてもよい。そうあるはずである。

2020年4月23日木曜日

弟子入りするということ


実は私、弟子入りしていた期間があるんですよ。野球指導の弟子入りです。かつて教わった、それはそれは鬼みたいに怖い監督の元へ出向いて、指導のイロハを教わりにいきました。当時を思い出すと、「自分には選手としての才能はないが、指導者としてなら花を咲かせられる」なんて考えていたようなんです。しかしね、しこたま怒られましたよ。2年弱でしたが、本当によく怒られました。僕が気が利かなくて、不出来だったんです。その後加えて2年、そのチームに残りました。大学野球を指導した人、元プロの方、色んな方から学びました。合計4年間は、僕の指導者としての「修行期間」でした。


徒弟制度なんて、この時代は流行らないんですよね。残っているのは芸能分野だけでしょうか。伝統工芸品も跡継ぎがいない、なんて言われたりしています。少なくとも僕の身の回りに、「〇〇さんの弟子です」なんてものを聞くことはありません。堀江貴文さんは、寿司屋の徒弟制度をざっくり否定されておりました。なんでしょうね、一理あるよなうな、なんだか寂しいような気もします。

「マニュアル化してみんなが技術を習得する」「システムを構築して循環サイクルをつくる」とか、これはすごく大事なことだと思います。某ファーストフード店でアルバイトしていたときは、マニュアルやシステムの重要性を大いに学びました。それは組織として持つべきものだと想います。


日本史には「鑑真」という人が奈良時代に出てきます。鑑真さんは中国でめちゃくちゃ有名なお坊さんで、わざわざ失明しながらも日本にきてくださった方です。当時の日本が請うたことによって鑑真さんがいらっしゃったのですが、何をしにきたかといえば、「戒律」を伝えるために来ました。この「戒律」というのは、お坊さんとしての「証明書」みたいなもので、これをもらうと「オフィシャルお坊さん」になれます。中国のえらいお坊さん公認のお坊さん、みたいな。戒律をもらったお坊さんは、国家公務員的扱いでした。


奈良時代、税がかなりハードだったんですが、お坊さんになれば税がかからないことになってたんですね。だからみんな「私度僧」って言って、「自称お坊さん」みたいな人がたくさん出てきてしまったのです。ときの政府は戒律を授かった「オフィシャルお坊さん」を増やして、ちゃんとした仏教をやっている国にしたかったのです。かつ、税逃れの私度僧を駆逐したかったのです。そのために当時の中国のスーパースターである、鑑真さんにわざわざ来てもらったんです。



今令和の時代、この「私度僧」みたいな「自称〇〇」が溢れている世の中になっている気がするんですね。ぼくかて「自称野球ブロガー」ですし、「自称野球ツイッタラー」です。自称で本当にすごい人もいますよ、行基っていうカリスマ私度僧もいました。でも自称で本当にすごい人って1%じゃないですか。みんながみんなすごい、ってわけじゃないですよね。「〇〇風味の食べ物」って、風味はしますけど、所詮風味どまりで、本家を超えられない。


私は、「だれでも〇〇できる」時代だからこそ、然るべき場所や人に学び、然るべき資格や証書・証明・承認を受け、然るべき対象に力を発揮する、ことが望ましいと思っています。奈良時代だったら、絶対に戒律を授かって正式なお坊さんになったほうがいい。「自称医者です」という人を、どれだけ信じられますか。医師免許を捨て闇医者に転身した、という説明を受けても不信感はゼロにはならないと思います。

野球の勉強をするなら書店に並んでいるプロ野球選手の自伝を読むよりは、理論が体系化された運動学の本を読んだほうがいいです。しかし本を読むだけよりも、もう一度大学に通って講義を受けて学位をもらった方がいいです。色んな段階があるにせよ、「自分がよりオフィシャルに近いもの」を得ることって、その業界にとって非常に大事なことだと思いませんか。


子どものおままごとであればね、「ぼく〇〇になりたい!」と言ってなってもいいと思うんです。鑑真が授けてくださる戒律は、ある種の国家資格です。そこに普遍性と歴史が込められています。伝統芸能を世襲した人は、その芸能を創始してから世襲する日までの歴史を共に受け継ぎます。300年、400年という歴史を受け継ぐ場合もありますよね。


これだけ多様性と可能性に溢れているのだから、もっと高いところを目指す、より高いところに行くのであれば、「普遍性」と「歴史」を獲得する・もしくは証明・承認してもらう。なんかバラバラとしてしまいましたが、それがすごく大事な気がするんです。

2020年4月12日日曜日

希望


漏れなく私の学校も休校になっており、漏れなく部活動は停止状態ですから、かつてないほどに伸びやかな時間を過ごしています。春先は新年度準備でバッタバッタしておるのですが、びっくりするほど緩やかです。もちろん例年の対応との違いとしてバッタバッタはしていますが、クラス開き・授業開きが行われないので、まだ何もはじまっていない。そんな感じです。


その間に何をしているかといえば、ひたすら授業の準備をしています。専門書を読み、プリントをつくり、問題を解き、授業の予習をしています。今年度は国公立クラスの授業も持つことになったので、より一層深い準備が求められているわけです。何度掘っても、何度掘っても、まだまだ底は見えてきません。やることは尽きません。担当教科は日本史なのですが、掘れば掘るほど日本史の面白さが見えてきて、これまでとは違った光景があらわれそうです。


世の中では色んな感情が飛び交い、たくさんの言葉が飛び交い、議論が行われ、非難をしたり、称賛をしたり。「社会が混乱する」というのは、このことを指すんだと思います。まるで映画を観ているような、そんなシーンが毎日テレビで流れています。すごい瞬間に出くわしているんだと、きっとあとから改めて思うんだと思います。僕は世界大戦を経験することは今のところないのですが、パンデミックを目の当たりにしています。人類が語り継がねばならない、私が仕事として語り継がねばならない出来事を、肌身で感じています。


「やりがい」や「面白さ」や「豊かさ」というのは、すべて「生きること」の上に成り立っています。「生きている」からこそ、「面白さ」に出会うことができます。でも、「面白さ」を知っているからこそ、「生きている」のかもしれません。野球の面白さを知っている僕は、今この期間を我慢することができます。我慢すれば、きっと野球ができる。そう思っています。野球は、誰かに希望を与えることができるのかもしれません。うまく言えませんが、希望あふれる野球部を、希望あふれる選手たちを育てたい。そんなことを考えていました。

2020年3月24日火曜日

「育成システム」を考える 育成計画編


「育成システム」を考える 育成計画

文科省発表「運動部活動での指導のガイドライン」(以下ガイドライン)から抽出して、育成システムを考えてみたいと思います。今日は「育成計画」です。ガイドラインの内容をベースにしつつ、良さげなものを考えてみたいと思います。まずはエッセンスから。

エッセンス
①学校が運動部(部活動)全体の活動目標を設定する
②運動部長(運動部の教員のトップ的な)が目標設定をする
③運動部長が学校と交渉しながら環境整備をする
④各部が目標設定をし、そのためのプランニング(計画)を立てる。
⑤各部がある程度フォーマットの定まった評価方法によって評価を受ける
⑥プランと実際の差異、達成箇所と達成できない箇所を明確にし、次年度に活かす



①学校が運動部(部活動)全体の目標を設定する

ガイドラインでは運動部の活動を学校も関与していく必要性があると記述されていました。プロ野球でいう「球団」にあたる学校が、経営目標というか、部活動に対して目標(要望)を伝えます。「活動を頑張ってほしい」というよりは、「どの点を学校が評価をしていて、重点的に取り組んでほしいか」を各部に伝えていくということです。学校経営という観点で言えば、部活動は教育活動であるとともに、募集の一環です。もちろん各大会で成果を発揮してもらいますが、何が募集につながっているかを学校が分析し、要望を伝えることで学校と部活動が分離してしまうことがなくなると思います。文科省は、部活動運営が教員ありきではなく学校が関わっていくことで、管理職が部活動の実態を認知し、指導していく重要性を説いています。


②運動部長が目標設定をする

運動「部」ですから、部長がいて然るべきだと考えました。プロ野球でいう「GM」のような、各部の編成を担う役職があってもいいのかなと思います。名前がつかなくともそういった役割を担っている場合もあると思いますが、部活動全体のマネジメントの中心となり、実際に実態を把握し、指導していく立場の人です。各部種目が違うのでまたがるのは難しいとは思いますが、各部の取りまとめをすることで運動部方針が定まっていくはずです。


③運動部長が学校と交渉しながら環境整備をする

合わせて運動部長が学校側と交渉して環境整備を行っていきます。各部からヒアリングをして、必要な環境を整えていきます。運動部としてトレーナーを採用したり、スポーツドクターを招いたり、外部指導員を斡旋したり、セミナーや講習会の開催をしたり、、、、。学校の運動部の発展を各部に任せるのではなく、顧問のマネジメント・交渉能力に任せるのではなく、学校組織として強化をしていく。学校はアウトソーシングが苦手な傾向にありますが、専門性の高い人材が現場には必要です。「怪我なく部活動に励んでほしいので、トレーナーを雇います」「定期的にスポーツドクターに検診に来ていただき、怪我の状態を把握します」みたいなことでしょうか。全国探せば学校でトレーナーを雇っているところはあると思いますが・・・。

環境整備は今後多岐に渡って行われていくと思いますが、「現場の自助努力」だけでは絶対に変わりません。システムの構築が最優先です。あまり現実的ではないかもしれませんが、他の部と共同して何かを行っていく、というのは重要だと思います。


④各部が目標設定をし、プランニング(計画)する。

学校目標があり、運動部の目標・方針があり、各部の目標があります。本来親会社、大元が方針を定めた上で、各部がそれらに則って詳細な方針を決定していくべきです。目標は中期~長期によるもので、1年単位~5年単位で考えるべきかと。

ちなみにガイドラインでは「勝つことのみを目指すことのないよう、生徒が生涯にわたってスポーツに 親しむ基礎を育むこと、発達の段階に応じた心身の成長を促すことに十分留意した目標 や指導の方針の設定が必要です」とあります。スポーツなので、「勝つこと」を含めた上で、多義的に目標を定めるべきだと言っているわけです。


したがってガイドラインでは、
「ヒアリングをしてニーズを把握した上で」
「勝つこと」「楽しむための土台をつくる」「心身の発達」
を目標設定として掲げ、プランニングしていくことが大事だと言っています。またプランニングの際には「バランスのとれた活動に配慮する」とあり、休息・休養の必要性も述べています。


1年間程度の計画は「ピリオダイゼーション」と呼ばれます(複数年にかかることも指すようです)。
『スポーツ医科学辞典』によれば、
 準備期→専門的準備期→維持もしくは試合期→回復期
 に分けられるそうです。
 長時間の低強度のトレーニング活動から専門的な高強度で短時間の活動に変わる、とあります。また「オーバートレーニングを防止する助けにもなる」そうです。


どこがピークで、今何をやらなければならないのか。月々の、日々の活動は具体的に何をするのか。プレイヤーには日・週単位から年単位のプランを伝えておくべきだと考えます。また、見落としがちである「学校・保護者」にも最終的には「内容・ねらい・方法・時間」などを明記してまとめ、提示しておくことで、相互理解が深まるのではないかと考えられます。



⑤各部がある程度フォーマットの定まった評価方法によって評価を受ける

「計画」を立てたわけですから、評価をする必要があります。他競技は正直わかりませんが、野球を前提に考えてみたところ、

 「大会成績・練習試合成績・練習内容・時間・選手の技能の向上・身体能力の変化」

 を少なくとも学校では年単位で評価する必要があると思います。部活動単位であれば、本来はシーズンごと、年4~6回の評価は必要だろうと私は考えています。どんな能力の選手に、どんなねらいをもった指導をして、どんな結果が出たのか。それが夏の大会で1回戦敗退だったとしても、野球未経験者が通算15本のHRを打てるようになったとか、身体能力が大幅に向上したとか、プレイヤー自身を評価することができます。

また、部活動以外の活動や実績として
「学校の成績・進学実績・進学後の活動・慈善活動」なども評価対象であると考えています。


⑥プランと実際の差異、達成箇所と達成できない箇所を明確にし、次年度に活かす

最終的には、またそれを修正し、次年度に活かすことになります。データが蓄積されていけば、わかることが増えていきます。年々バージョンアップした指導を行えるようになりますよね。



育成計画を立てるということは、
→将来を想像すること
→プレイヤーの可能性を見つけ、育んでいくこと
→計画した以上は変更できない(他者の目がある、やるしかない)、ということ
→やるべきことが明確になること
→チームが一枚岩になれるということ

でもあります。
計画を立てるというのは簡単ではありませんし、知識もパワーも必要になります。しかしその場限りの指導にならないように、選手・チームを想像を活用してデザインしていく。やるべきことはまだまだありそうです。続きは後日。



2020年3月22日日曜日

「育成システム」を考える



「育成システムをつくろう」「選手の能力開発を行っていこう」と考えたのですが、何ごともはじめは真似するところからはじまります。モデルケースはなにかあるのかな、と思い探してみると、文科省が「運動部活動での指導のガイドライン」というものを平成25年に出しているではありませんか。
文科省 「運動部活動での指導のガイドライン」


大阪府桜宮高校の体罰問題が明るみになったことによって、国として部活指導の方向性を考える必要性が出たわけです。今でも体罰やっているところはあるでしょうし、パワハラ・人格否定を指導だと思っている方も少なくありません。どのカテゴリにもそういう方々はまだまだいるんでしょうね。


文科省は指導の充実のために必要と考えられる7つの事項を挙げています。さらにそれをギュッとギュッとして、私なりに解釈してみました(原文がみたい方は上記のリンクからどうぞ)。


①学校全体で部活動指導に取り組み(外部指導員など含めた環境)、育成計画をつくる
②科学的アプローチをとる
 データ集計や医学・科学的な知見も活用、トレーナーなども
③コミュニケーション方法を考える
 コーチング的な要素  選手の自主性を育む
④体罰・暴言をなくす
⑤指導者が学ぶ
 マネジメント・コミュニケーション・運動技術・ルール・審判
 心理・生理・栄養・休養・発達


ギュッとまとめて、こんな感じだと思うんですね。何事もそうですが、真似をするところからはじまるわけです。ただガイドラインはガイドラインなので、実際に自分が監督だったらどうやって取り組んでいくか、自分の考えをまとめてみようと思います。



平成30年には「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」というものが発表されています。実際学校・教員の仕事量が多く、過労状態にあると言われています。仕事の一つとして部活動がありますが、「部活動」自体がブラックの原因の一つとして、社会問題化している側面もあります。公立中学校の教員の方々で「部活指導しない」「顧問にならない」と言っている人たちも増えてきました。「ブラック部活動」なんて言われたり、顧問をやっているせいで時間がない、みたいな話もあったり。


もちろん私は部活動を肯定的にとらえてますし、野球の指導に取り組むことは私が心の底から楽しいと思えることでもあります。「土日休日なんて無いのが当たり前」ですが、それって異常なのかもしれない、と少し思います。僕は「物好き」というか「変態」ですし、むしろ「野球を教えたい」と思って教員をやっています。でもそれって全教員に当てはまるわけじゃないですよね。それを「無償で時間外までクラブをやってほしい」というのは筋が通らないかもしれません。ひとまず、まだ考える余地がある、ということで。また続きは後日。

2020年3月19日木曜日

選抜システムから育成システムへ


 

野球界に危機感を持つものの一人として、私も同様に「今のままで野球は生き残れるのか?」という疑問をいつも持っている。国民に愛され、成果を残し、たくさんの競技人口を抱えているなかで、もしかしたら今後消滅していくのかもしれない。野球が消滅していく未来は、もしかすると遠くない未来なのかもしれない。一人でも多く危機感を持って何かしらのアクションを取ることで、未来に影響を与えることができるはずだ。「バタフライ効果」のように、私達の小さな一歩が未来の大きな変革につながると信じている。革命はいつだって民衆の力が引き起こしているのだ。


今回のタイトルは、「選抜システムから育成システムへ」とした。従来の野球は「大量の練習を課し、それを乗り越えたものだけが試合に出場することができる」という、チーム内における選抜システムの側面が強かった。野球人口が減った現在では、それは通用しなくなりつつあるのではないか。「育成システム」が確立しているチームが、もっと多くなることが未来の野球界のためによいのではないか、むしろそうならないと日本の野球界は危ない。そんな気がしているのである。


◎選抜システムとは

練習は自分でやるもので(もちろん私も同意する部分もある)、試合に出られない選手は練習していない、練習についていけてない、能力が不足している。試合に出場できる選手は「ふるい落とし」に勝った選手で、体が丈夫で、怪我が少なく、感覚が優れている選手であった。100人の部員のなかで、固定された15名を1年間起用し続け、勝利に導く。他の85名は球拾いで、プレイすることができない。一度も公式戦を経験することなく、3年間で10打席も立つことなく、高校野球が終わる。

野球界に長く身を置いていると、こんな話を上の世代の方々から聞くことがある。団塊の世代・団塊の世代Jrなど、日本は人口が多い時代をこれまで過ごしてきた。人が多い時代において、この考え方は少しわかる気もする。「殴られて、罵声をあびせられて、それで強くなった」という話。アスリートファーストがスポーツ界の常識になりつつある昨今、是非は言わずもがななのかもしれない。実際「野球を選ばない」「他競技を選ぶ」ようになった子どもたちが多いという事実からわかることは、野球はもはや「日本スポーツの横綱」ではないのかもしれない、ということだ。手放しで子どもが集まると思ったら大間違い、なのである。


◎供給システム

私が日頃高校野球界に身をおいて感じるのは、「変革の難しさ」である。選抜システムといってもピンキリで、ハードにやっているところもあれば、ソフトなところもある。しかし選抜システムを遂行している指導者たちが、根底には同様の思想を持ち合わせていることが多い。現場ではハードかソフトかいかにせよ、選抜システム、ふるい落としの野球を経験しており、その経験に基づいて指導観を形成している。


プレイヤー中~上位層においては、小・中・高・大・社とふるい落としを何度も経験し、そのたびに勝ち進んできた。強豪が強豪たる所以なのは、「下のカテゴリにおける、ふるい落としで残った選手を獲得し、さらに自カテゴリでふるい落としにかけ、残った選手で闘う」のである。強豪校・チームは選手供給のパイプラインが必ず存在している。かんたんに言えば「うまいやつはずっと上手いチームにいる」ので、「強い高校はたいてい強い」し、弱い高校から抜け出すのは簡単ではない。そしてOBが指導者として戻ってくる、監督が内部昇格する。また同じ連鎖が起こる。これが「カテゴリの固定化」である。この状況がある限り、高校野球界の変革は難航するのではないか、と思っている。ちなみに私自身は中位のプレイヤーだが、とあるパイプラインによって仕事を獲得しており、その恩恵を受けている。


◎カテゴリの固定化現象と戦力均衡

「カテゴリの固定化」現象は、「適正な勝負が行われる」という意味では悪いことではない。大学野球でも1部リーグと3部リーグ、ここには選手の熱量も技術も差があるだろう。「野球をやってきた」選手と「プロを目指してやってきた」選手、勝負として成り立つ可能性はあるが、リーグ戦として観たときに面白みに欠けるかもしれない。ジャイアント・キリングは勝負の面白さの一つだが、ヒリヒリするような接戦もスポーツの醍醐味である。東都1部が面白いとか、甲子園のベスト8はいい勝負が多いというのは、実力差が少ないからこそ、である。これはカテゴリがある程度固定化されるからこそで、戦力均衡状態で試合が行われるからこそ、である。


「カテゴリの固定化」によって、野球界でも棲み分けがなされることになる。リトルリーグと少年軟式、中学軟式やクラブチーム、大学・社会人、などは、ある程度の棲み分けが行われている。日本独自の軟式野球という文化は、入門編としてはありがたい。ローカル大会も多い小・中では出場機会に恵まれることもあるだろう(チームにもよるが)。


◎高校野球の危険性

ここで問題なのが高校野球で、全国の高校が一斉に大会に参加できてしまう。プロを目指している選手層のチームと、楽しく野球がしたい層のチームが対決する可能性がある(というが現実にそうなっている)。理念上の問題という以上に、怪我する可能性がある。大阪桐蔭高校の打者らの打球を通常に処理できる高校生は、ある程度の経験値を積んでいる選手でないと危険がつきまとう。シードやコールドという制度があるにせよ、「スポーツハラスメント」とも言える状態だと私は思う。



◎供給システムを変える

いまやコロナウイルスは、世界の産業に大ダメージを与えている。いまや「世界の工場」と呼ばれている中国で発症してしまったために、工場が軒並み停止した。生産されないということは、物資が流れてこない。モノがなければ売れない。物流の停止である。「適切な供給がなければ、人々は困る」ということだ。1973年にオイルショックで人々はトイレットペーパーを(何故か)買い漁ったが、それも原油価格の高騰が原因である。石油が「入手しにくい」状況になった。すなわち、「供給システムを変える」ことは、人々の動きに変化をもたらすわけだ。


したがって、「選抜システム」から「育成システム」への移行することが、今後の野球界、特に高校野球界では必要になる。強豪校でなくても野球が上手になる、大学で野球ができる、充実した3年間を送れる、野球を楽しめる。坊主じゃなくても野球ができる、とか、練習が週4日だけで他は勉強もできる、とか。いろんなスタイルが出てきてもいいと思う。


選手が野球を通じて成長を実感し、スタッフは選手を支え、大会で結果が出ようと出まいと(出たほうが望ましいような気もする)、充実した3年間を過ごすことができるチーム。「このチームで成長できた」と思えるチーム。そういったチームを、子どもたちは選ぶんだと思う。すでに「育成システム」を構築して実績を挙げている学校は存在しているし、数も増えてきて、認知度が高まっていると思う。私はそういった学校を応援しているし、私自身もそんなチームを今後つくっていきたいと考えている。


今はまだマイナーなチームかもしれないが、育成システムが中心となったチームがメジャーとなっていけば、子どもたちはそちらに流れる。暴力や罵倒されるチームに行くのは、それ以上になにか見返りがあるから。強くなれるとか、進路がいいとかなので、育成システムのチームがそのメリットを内包することができれば、選手の流通に変化が起こるはず。選手供給システムが変化してはじめて、強豪校側の変化が生じてくるはずなのである。



◎結論

育成システムを構築することで、選手供給システムを変えることができる。それが高校野球の変革につながるのではないか、と仮定している。もちろん医療関係・トレーニング関係の専門家の知見も、同時に必要になる。むしろ「育成システム」を構築する側にとって、理論的根拠は不可欠である。考える余地は十分にあるので、どうやったら野球界のためになるのかを検討していきたい。




2020年3月16日月曜日

ブログを書く、ということ。


 ブログを書くという行為自体が久しぶりすぎて、どう書き出していいかわからないが、とりあえず文字を打ち始めてみようと思う。しばらくブログを書いていなかったのだが、「書けなかった」し、「書くことがなかった、書くに及ばすであった」という理由がある。「サボっていた」というがシンプルでわかりやすいのだが、やはり何かを生み出すのにはすごく時間がかかる。いわゆる「産みの苦しみ」である。作家や芸術家、「クリエイト」する人が、そういった苦しみを感じることがあるらしい。しかしその方々と同じような苦しみを持っている、というのはおこがましい。たかがブログごときで、「文章書くのは苦しい!作家もそういう苦しむことがある!」というは、ちゃんちゃらおかしい話である。


 ひとまず整理すると、最後にブログを書いたのは昨年の10月、継続して書き続けていたのは8月下旬まで。そこからまた空いて、3月まで遡る。半年間で5本の記事しか書いていない。記事を書くにはどれくらいかかるだろうか?30分そこらで仕上がることもあれば、2時間ほど頭を捻って書くこともある。散文的にタイピングすることもあれば、ノートにまとめて記事に仕上げることもある。テーマを決めて打ち始めるときもあれば、あれこれ調べてまとめることもある。普通に考えれば「ブログ」なのだから、何でもいいわけで、そこにあれこれ理由をつけて書かないだけのこと。そうなのかもしれない。

 
 どうでもいい話はさておき、ブログを書き渋っていたのは、「書くに及ばずだった」というのが一番である。実を言うと、私はいつも焦っている。追われているような、焦燥感がある。自分の周囲は野球で結果を出し、やりたいこと、やるべきことをやっている(ように見える)。「隣の芝生は青く見える」ので、どうしてもよく見えてしまう。それに引き換え自分はどうなんだ?現状に文句をいい、大した努力もしないで前進していないのではないか。それなのに、ペラペラとブログやTwitterでは饒舌に語り、欠片ほどのよい部分をさも本体のように見せ、進歩しているように見せかけている。そんな自分に辟易した。だからTwitter含めブログなどでも発信を控え、自分を見つめ直す時間に充て、研鑽に努めようと思った。それがちょうど1年前ぐらいだ。


 その1年のなかで、ひとつわかったことがある。ブログを書く行為は、僕にとって重要な思索活動であった、ということだ。物事を客観視し、深く捉え、自分なりの視点を見つける作業、これが僕にとって重要であった。自分との自己対話、自己の深層と向き合い、眠っているものを呼び覚ますことであった。「重要な思索活動」がなかった1年は、なんとも自分の発言の軽いこと。いや、その前だって軽かったのかもしれない。でも自分として、重さを感じなかった。言葉に魂がなかった。

 文章を書くということは、ある意味、「山に登る」ことでもあるし、「海に潜る」ことでもあるし、「穴を掘る」ことでもある。1年前の自分は、色々山を登った結果、次に登る山を見失っていた。「山」に登ったフリをして、近所の裏山で登ったフリをしていた、そんな気がする。


 書かない間は、とても身軽だった。言葉に魂は宿らなくなった。しかしその代わりに、世界を広げることができた。映画を観て、歴史に触れ、教員を理解し、本を読み漁り、世の中の広さを知った。知らないことがたくさんあり、登るべき山を見つけることができた。僕は「野球」という山に登っていたが、まだ小さい野球の山だった。面白い映画はやまほどあるし、歴史の奥深さと不完全性を僕は知らなかった。深く掘らないからこそ、いろんなものを観て回ることができた。自分にとって何が必要で、何が必要でないかを少し理解することができた。同時に、教員としての力を養うことが結果的に野球にもつながってくると理解した。


 ひたすら掘り返す時間と、地図を広げていく時間。これは共に必要なのかもしれない。必要だと感じたから、そういった行動をとったのだと思う。生まれ変わったわけではなく、より広い視野のなかで野球を捉えられるようになる、はずだ。いろんなところを歩いていく中で拾ったものを、自分に蓄えたものを、少しずつ落としていく。拾った種を、ゆっくり育てていく。見識を広め、深い思索を行い、研鑽を重ね、内面を磨いていく。この作業の繰り返しが、自分が監督になったときにきっとよいチームを作る土台になるはずである。


2019年10月6日日曜日

日記



自分の人生自体、およそ7年前から節目を迎えた。20歳を過ぎた頃から、やっと歯車がまわりはじめた。自分の人生をコントロールするというか、自分らしく生きるというか、それがやっとできるようになりはじめた。懸命に生きること、考えること、文章にすること。この自浄作用のようなシステムが、歩きたい方向に少しずつ歩けるようになった。


生徒を見ていると、「勉強やらなきゃいけないけど、できないんです」という声が、なんとなくわかる。甘いのかもしれないけど、多感な思春期はそういうものなのかな、とも思う。かつての自分がそうだったように、他人を自分と比べ、卑下し、妬み、焦りを感じているのかもしれない。わかってはいるが、そこに自己肯定するだけのゆとりがない、のかもしれない。


こうして考え始めて気づくようになったのは、コントロールできることと、コントロールできないことがある、ということ。自分の意識や行動は、幾分変えられる。他人の気持ちや考えを変えることは、難しい。他人を変えるのではなく、自分の気持ちや考えを変えていく。そして社会や環境との関わり方を変えていく。脇道にそれてしまうとき、少しずつ自分を元に戻していく。懸命に行きながらも、どこか変なところに転がり込んでしまう。それをまた正しい道に戻していく。遅くても、進んでいくこと。道草しても、また戻ってくる、そして進んでいくこと。この繰り返し。

2019年8月19日月曜日

透明な指導



「がんばる」ことを求める大人、「がんばる」とは何なんだろう?少なくとも、僕は毎日頑張って生きている。夏休みは朝から野球をやり、時に教員業務を行っている。2学期の授業の準備だってやっているし、野球と仕事以外の事柄も取り組んでいる。私は私なりに懸命に頑張っていきている。


僕が懸命に生きるということは、相手もまた懸命に生きているはずだ、ということ。本当は懸命でないかもしれない、手を抜いて生きているかもしれない。ハンバーガーを1個つくることであっても、それなりの本気でつくってくれているはず。ピクルスをハンバーガーに投げつけて遊んでいることは、きっとないはずなのである。しかし僕が思うのは、そんなことすらどうでもいい、ということ。何かに熱中している人は、何かに本気で取り組んでいる人は、余計なことに気を取れれない、そんな気がする。


自分と他人のものさしは、決定的に違う。一生懸命のものさしは、本気でやっているというものさしは違う。僕はグラウンドで黙って「一生懸命」選手を見ている。一方で「一生懸命」怒鳴っている人がいる。僕の尺度で言えば、僕は一生懸命だ。選手のプレイを見ながら、分析したり他の動きとトレースさせたり、「どんなアドバイスを送るべきか」を考えている。闇雲に言えばいいわけじゃない、タイミングがある、吸収できるように説明する必要がある。どうやって伝えるか、何を伝えるか、そもそも伝えるべきか、考えを聞くだけにしておこうか、と考えている。これが僕の一生懸命だ。はっきり言えば、グラウンドでの存在感はない。(と思う)。



目立ちたいという気持ちはあるが、それが先に出たら指導はできない。僕はそう思う。監督は違うが、コーチは目立たない。それがよいと思う。優れた技術は、透明なのだ。その選手に溶け込むような、色のついてないアドバイス。馴染みやすいアドバイス。そんなアドバイスをしたい。形を1からつくるのではない。今あるものを発展させていく。観察して、分析して、コツコツ声をかけていく。色のついていない言葉で、溶けやすい言葉で。選手との会話、対話。これが全て。

野球消滅を読んで


野球消滅を読んで

中島大輔 『野球消滅』を読みました。面白かったので、ここに記録しておこうと思います。


『野球消滅』とはまたショッキングなタイトルですよね。全然知らない人は「感情論&拡大解釈による危機感煽る系」な本かと勘違いしてしまいそうですが、データや事実を根拠にして話が進んでいきます。「野球人口減少」がひとつのテーマですから、もちろんそれに関連する学童野球の野球人口のデータ、日本ハム大渕スカウト部長が作成した「チーム単位部員数の推移(新潟県高野連)」など、知らなかったことも数多くあり、大変勉強になりました。


 そういった資料やデータだけでなく、地域の実情や現場の声も取材されていて、実際に現場で野球に携わっている方々がどんな様子なのかもよくわかります。そういった意味では、諸問題を身近に感じることができる内容になっていると思います。実際私は学童野球と関わることがないので、知らないことがたくさんありました。連盟の登録と大会について、幼い頃を思い出せば「〇〇市は☓☓に登録していないので、□□大会に出れないんだよ」と大人が会話していた気がします。


 先に述べた学童野球だけでなく、学生野球・アマチュア野球からプロ野球などと、各カテゴリの構造がよくわかるようになっています。連盟間で縦割りで連結しているわけではなく、「ガラパゴス携帯」のごとく多岐にわたっています。正直私もよくわかっていないこともありますが、他カテゴリの連盟を知ることができますし、野球界の構造の複雑さがよく分かるでのはないか、と思います。これだけ横断的に書かれている本て、他にあるんですかね(ありそうだけど知らない)。





 本書はそんな形で、「野球界の構造を明確にし、その構造から生み出される問題を捉える」ことが読む意味になるんだろうと思います。例えば投球制限の問題、結構みなさん議論されてますよね。実際改善するのって、結構たいへんなんですよ。

 そこには各新聞社が絡み、高校野球で儲ける新聞もあればプロ野球で儲ける新聞もあります。私立は私立で生徒募集が絡み、公立は人数が集まらず苦しみ、高野連は「教育の一環」として高校野球を守りたい。それぞれがそれぞれで、利権を守りたいわけだったりします。だから、現状の高校野球のあり方を変化させるためには、ある意味それぞれからOKをもらわないといけないわけなんですね。したがって、「投球制限は投球制限だけの問題ではない」と私は思うわけで、これこそが「日本野球界が抱える構造的な問題」にあたるわけです。




 我々現場の人間にとって、もしくは野球に携わる方々にとって、「野球が消滅する」のは嫌ですよね。しかしその危機に瀕しているわけです。不幸は足音を立てずにやってきます。崩れるときは、本当に早い。そうならないために、野球を残したい人たちの手で、声を上げる必要があると思うんですね。
 

 「声を上げる」というは、無鉄砲に高野連を否定することではなく、現状を理解したうえで次の一歩を踏み出すことです。「高野連を炎上させる」のではなくて、「野球界がアップデートしていく」ためにともに歩みを進めるべきなんです。まずはその歩みの一歩として、『野球消滅』を読むことです。そして、野球界だけでなくこの本を広め、多くの方々に現状を知ってもらい、世論として野球を変革する動きをつくっていきたい。野球界が動かざるを得ない、そういう状況をつくりたい、そう思います。


2019年8月13日火曜日

監督になったらやってみたいこと


夏休みも後半にさしかかり、秋の大会の足音が聞こえてまいります。夏の大会で悔しい敗戦を迎えた我がチームは、着々と新人戦へ向けて準備を進めている最中です。新チーム立ち上げの大事な時期にどっぷりたっぷり関わることができて、今年の夏は良い夏です。新チームの開始に合わせて「投手マニュアル」の出荷、練習試合等のデータの出荷ができたので、個人的には自分の働きに合格点をつけたいとおもいます。


色々野球のことを考えるんですが、やってみたいことがあります。しかしなかなか監督ではないため、実現できないことが多いです。もし監督になったらやってみたいこと、今思いつくことをここに書き記しておこうと思います。「こんなこと面白いんじゃない?」みたいなものがあれば、ぜひ教えてください。


・試合データの集計
・身体計測データの集計
・チームマニュアルの作成
→ベースにミーティングを実施
・規定打席、投球回数制度
・ピッチスマートの導入
・チーム内リーグ戦
・体作り(トレーニング・栄養摂取・昼寝)
・二部練習 
・週休2日制度
・ダンスを取り入れる
・なんか楽しいイベント
・みんなHR打つチーム
・みんな140キロ投げるチーム

2019年8月6日火曜日

重い腰を上げました。


みなさんこんにちは。久々に重い重い腰を上げて、ブログを書こうと思います。今日はブログを書いていなかった時期の振り返りを書きます。重大発表でもなく、重いテーマでもないのですが、かんたんにログを残しておこうと思います。


さて、どうやら3月のはじめ頃から今日まで、私はブログを書いていなかったらしいです。およそこの5ヶ月間、何をしていたのか・何を感じたか、ということですね。野球的な動きで言えば、この時期に「春季大会」「選手権大会」があったことは高校野球の事実です。お察しの通りで、本校の結果が一切振るわなかったのは紛れもない真実であります。学校業務的な部分でいえば、新しい学年となり、これまで出会ったことのないような出来事ばかりでした。つまるところ、「野球でも学校業務でも未知との遭遇が続いた」が、かんたんな要約になるでしょう。


野球のことで言えば、選手権大会において、自分で勝手に決めた最低限のノルマはクリアしていました。「ベンチ入り投手全員max130キロオーバー」というノルマです。一応これはクリアしました。春先~夏前にかけてピッチデザインとして、各々の良さを引き出すパターンを相談し、ある程度の名前のあるチームとも投手陣が勝負できる状態になっていました。しかし選手権大会はビッグネームのチームに惨敗。何も手応えなく終了してしまいました。


試合の勝敗にコーチの私が直接関与できることは、限りなく少ないです。そもそもベンチにも入っていませんから、そこで何かができるわけではありません。夏の大会が始まる前に、私ができうる全ての準備と必要なことは選手らに伝えてありました。その点において「やりきった」という感覚を持っているので、負けた場合でも次に進む気持ちになることができました。もちろん投手力の不足による敗退は認めています。責任も感じています。しかし、下を向いても仕方がないのです。


ここで大事だと思ったのは、「できること」と「できないこと」を見極め、「できることを続けていく」ということです。例えば私は試合運びやゲーム展開を追いかけること、守備走塁の精度を高めていくこと、ここらへんは私が関与しにくい現状があります。練習試合も毎回ベンチに入るわけではないですし、そもそも守備走塁等に関して別の方が指導されています。そこはそこ、私はわたし。連携を取りながら、各部署で精を出す・役割を果たすことで、チームに還元されていくはずなんですね。だからこそ僕はバッテリーに集中し、注力していく。個々にアプローチをかけ、打撃指導を行っていく。僕はここに注力しなくてはならないし、その一方でシステム的な問題も本校の課題でもあるのは事実です。



ひとまずこんな形にしておこうと思います。また書きます。

2019年3月17日日曜日

『セイバーメトリクスの落とし穴』簡単まとめ



待ちに待った『セイバーメトリクスの落とし穴』、読み終えました。お股ニキさん初の出版です。タイムラインでも話題になっているのも読む理由のひとつですが、なにより「お股さんが書いた」ということが重要です。Twitter野球クラスタ筆頭と言っても過言ではないですし(素晴らしい方はたくさんおります)、何より日頃のTweetでの知識・野球理解の深さは他者の追随を許しません。そして何を隠そう、ダルビッシュ投手ともTwitterでも親交があるのです。そんなことから、この本に関しては読まない理由がありませんでした。簡単に記録を残しておこうと思います。



●注めっちゃ多くて読みやすい
結論から言いますと、この本は「確実に読むべき本」と言っても言い過ぎではないです。内容の明快さ、データでの裏付け、主観的(感覚的)な判断など、わかりやすい切り口で話を進めてくれます。「落とし穴」というぐらいですから、データ偏重になりつつある野球界に一石を投じたわけで、「データばっか見るな!野球をもっと楽しめよ!」と言われている気がしました。

特筆すべきは、「注の多さ」です。人物・専門用語に注がふられており、ページの端に記載があります。注は読む人に対する気遣いであり、読みやすさに繋がります。実際本書には多くのメジャーリーガーや日本人選手、くわえてセイバー用語や野球用語・野球スラングなどが登場しています。


知らない用語が多い本は読みにくいものです。「僕セイバーとかMLB知らんしなぁ」とか、「昔の選手も知らないしなぁ」という人もいると思います。そんな方でもご安心、注がついており、簡単にその情報を知り、なおかつ現在の立ち位置なども紹介されていたりします。スラスラ読むことができるのは、このご配慮があるからですね。


●最新のトレンドだよ
本書では「野球の再定義」からはじまり「ピッチング」やら「采配」やら「球団経営」やら、最終的には「野球文化論」とテーマが多岐にわたります。実際MLBがどんな取り組みを行っているのか、新しいトレンドを知ることができます。

これまでもセイバー的な切り口で最新トレンドを知ることはできたと思いますが、「プレイヤー」「監督」「コーチ」「フロント」「ファン」「社会」といった、野球を取り囲んでいる人々を俯瞰した本は、ほとんど見たことがありません。というかはじめて読みました。それぞれのカテゴリやグループでのトレンドを抑えており、自分がどうあるべきかを教えてくれます。


もし別のタイトルをつけるのならば「現代野球総論」「野球のこれからの形」とかになるんじゃないですかね。「セイバーメトリクスの落とし穴」といいつつ、数値偏重主義批判をしているわけではないです。「多面的な現代野球の総論」として読むことができ、時代の変化を知ることができます。


個人的には本書181P「野村克也の大いなる功罪」で、我々が知らずとかかっている「野村バイアス」を払拭できればなと思っています。00年代~を席巻した野村克也氏、名著『野村ノート』による配球偏重主義。ここから脱出できない(ここまでも追いついていない)チーム・指導者も数多いです。巷では野村克也氏は大量に出版しておりますが・・・・・、おっとここまででやめておきます。



●ここで唸った

詳しい内容は読んでいただければよいので、最後に個人的に唸り声を上げた部分をまとめておこうと思います。6章の『監督・采配論』、P237「ポスト分業化時代のユーティリティ」についてです。

昨今の時代はいわゆる「分業化時代」です。先発・セットアッパー・クローザー、各ポジションの専門職、代打・代走のスペシャリストなどなど。コーチの増加なども含めて、役割が多様化しそれぞれの高度な専門が野球界にも求められています。コーチは専門職で増加傾向です。その一方で、選手はユーティリティ化が進んでいる、という指摘があります。お股氏は「ポスト分業化時代」と呼んでいます。私は大いに唸り、「やっぱりそうだよな」と納得しました。


例としてジャイアンツ岡本和真選手が複数ポジション担えることや、大谷選手の二刀流、捕手の負担増による併用制度などを挙げています。私においては、「守備シフト発達でサードにも二遊間並のピポッド能力が求められ(P241)」ることは盲点でした。そうなると、我々指導者がどんな選手を育成するべきか、どんな選手が求められるかがなんとなくクリアになってきます。実際その点は理解し、動き出している最中です。



●とりあえず読むことからじゃない?
ともかく本書は納得できることばかり、そして考えさせられることばかりでした。我々高校野球指導者もあり方を考えさせられ、もっともっと進化しなければならない、そう思いました。簡単なまとめですが、ここで終わっておこうと思います。

2019年3月4日月曜日

小豆島高校と県立高瀬高校


高瀬エンジョイベースボールプロジェクト

http://metoo.seesaa.net/article/464416880.html


香川県立県立高瀬高等学校
https://www.kagawa-edu.jp/tkseh02/clublog/index.php?date=201901



高瀬高校監督は、杉吉監督です。以前、小豆島高校に務めておられました。もしかすると記憶の片隅にある方もいると思いますが、21世紀枠で選抜大会に出場しています。諸問題が取り上げられてしまい、悪い印象を持たれている方も多いかもしれません。それでも、私は小豆島高校を応援していました。現在は統合され、小豆島中央高校となっています。






進化するボトムアップ理論

http://metoo.seesaa.net/article/433747166.html

小豆島高校 ボトムアップ

http://metoo.seesaa.net/article/433190931.html


私の気付きのきっかけは、「少年野球BLOG」さんの記事です。指導者をはじめたときから、ずっとずっと読み続けています。そこで上記のような紹介があり、小豆島高校を知りました。小豆島高校ブログがあり、私は食い入るようにそのブログを読んでおりました。「こんな活動をしているチームがあったんだ」と驚きを隠せず、何度も何度も読みました。スカウティング戦略偏重から離れた形の野球、そこに魅力を感じました。「監督になったら、こんなチームをつくりたい」と憧れのチームになりました。

現在の野球指導は、将来監督になったときのための準備期間だと思うようになりました。当時我が家のホワイトボードには、「めざせ小豆島高校」と書かれておりました。目指すべき姿が、そこにあったのです。必死に本を読み、動画を見て、実践する日々。そのモチベーションをくれたのは、私に勇気をくれたのは小豆島高校でした。


改めて小豆島高校の記事を読み、高瀬高校のブログを読み、「やっぱりこれなんだよな」と原点を思い出すことができました。私も野球界の発展に一役買いたい、そう思っています。なんとか発展の力添えをしたい、そう思っています。こんな楽しいスポーツを、知らないなんてもったいない。僕は野球を、みんなに知ってもらいたいのです。またがんばろう、そう思いました。





※小豆島高校ブログは、過去を遡れば記事が読めると思います。広告というか、ちょっと荒れた感じになってますが、日付から飛べば読めました。
https://www.kagawa-edu.jp/syodoh01/bukatudo/yakyu/diarypro/diary.cgi?no=2393



2019年2月26日火曜日

冬期練習なんとなくまとめ



昨日ツイートしましたが、それなりの成果が出てきたように感じます。正直なところ、紅白戦をやるとアラしか見えないし、まだまだ納得がいくレベルではないので、1ミリも満足してません。「140キロ投手複数人で勝負」が最大の目標であり、「投手全員が輝くチーム」をつくりたいので、まだまだでごわす。




いろいろ取り組んだのですが、簡単に要因をまとめるとこんな感じになると思います。チーム練習があって、それをベースに補てんしているだけなので、「俺の取り組みのおかげ」ではないです。ジャンプ系はいつもやってますし、他にもダッシュしたり、守備打撃の相乗効果もあると思います。いろんな要素のなかで、選手は成長していくものです。




できなかったことがあります。投球後のケア、シーズンに入る前にルーティン化したかったのですが、なかなか。これは声かけしながらやりたいです。あとはウエイトルームが諸般の事情で使えなかったことが功を奏したのか、ほぼウエイトなしでも球速が伸びていました。ウエイトの賛否って結構あるじゃないですか。逆に疑問が深まってしまいます。いかにせよ、クイックリフトは必要だと思っているので、それはこれからやらなくてはならないですね。あとは体重とか、栄養指導とか。ここは僕も勉強不足です。



まだまだ、できることはあります。がんばります。






2019年2月17日日曜日

勝つ確率を高める工夫をする


♢野球は確率のスポーツ

野球の競技特性の一つとして、確率のスポーツであると考えられている。理由は様々だろう。
私が一番の理由だと思うのは、ボールとバットが衝突してプレイが展開するからだ。つまり
「道具ー道具」の接触が主体のスポーツであるから、高い技術が求められる。時速140キロで
飛んでくる球体と、棒を衝突させ、90度のなかに入れ、かつ相手がいないところに打つことが
求められる。


球体が棒にあたったとしても、相手がいるところではダメだし、
そもそも球体と棒が当たらないこともある。棒に当てる確率・人がいない所に打つ確率、
反対に棒に当てさせない確率や人がいるところに打たせる確率を高めるように練習する必要がある。
そんなことから、確率と確率のせめぎあいが行われているのが野球というスポーツだろうと思う。




♢野球はセットプレーが多いスポーツ
別の観点からみると、野球は連続性のあるスポーツではない。
つまりセットプレーの繰り返しが野球である。毎回試合が中断し、
投手が「攻撃姿勢」に入り、お互い守備と攻撃の準備をする。そこでも場面がそれぞれ違うわけである。
従って、そのセットプレーに対する自分の動き方や、
その時々による動き方のパフォーマンスを上げる事が求められる。



♢勝つ確率が高い選択をする


先の球体と棒の話でもそうだし、
こちらの「セットプレースポーツ」としてもそうだが、ある一定の傾向が出てくる。
例えば「球が速いと打たれにくい」とか、「このバットの動きはサードに来る」とか、
「このケースはバントをする」とか。ある一定の傾向が、確率の偏りとして現れてくる。
野球は相手より多く得点するために、お互い確率を選択していく。高い確率を選ぶ場合もあれば、
リスクを負って低い確率の動きをするかもしれない。いずれにせよ、お互いの戦いのなかで、
「勝つ確率が高い選択」をし続ける必要がある。なので、「かつ確率を高める(引き寄せる)工夫」
が常に必要なのである。


♢根拠を持って取り組む

そこに根拠はきちっとあるのだろうか、根拠を持ったプレーができているのだろうか、
ということを練習では突き詰めてていく必要がある。自分が狙ったボールを打ったのか、
反応して出たのか、インコースの練習をしてインコースを打つことができたのか。
きたボールに対してミスショットなく正確にとらえることができたのか、
そういったところを追求していきたい。


打った打たない、アウトになったならない、これらはある意味相対的ではある。
比較の産物でその場合ケースによってそれぞれ結果が異なる。実際に想像してみて、
予測を立て、仮説を立て、そのための練習をし、もしくはそのための対策を講じ、
その結果どうなったのか。そういったプロセスを踏んでもらいたい。
根拠のある結果が出たのか、根拠に基づいてプレイすることができたのか。
根拠をもって予測をして準備をしてプレイに取り組んでもらいたい。
その一方では、野球の要素として、
予測にないプレーも反応してプレイをしてほしい。準備と結果、反応と瞬発、
その両方の要素が必要である。



♢小さな予測の積み重ね・仮説の積み重ねが一瞬の反応やひらめきを生む

ただ、その一瞬の判断をするためにも、小さな予測・少しずつの想像力・準備、
そういったものの積み重ねが、一瞬一瞬の反応を生み出す。小さな準備の積み重ねをして、
実際に瞬間瞬間に反応する選手になってもらいたい。

2019年2月16日土曜日

野球の競技特性


 野球の競技特性を考えると、9人である複数人スポーツ・相手がいるスポーツ・道具を使うスポーツである・非コンタクトスポーツ・集団でありつつ最終的には個人スポーツ・時間制限がないスポーツ(部分的にはあるが)・守備側がボールを持つスポーツ。


 より競技特性を理解して、チームの練習をマネジメントしたほうが成果が出るはずである。したがって、練習の中でこの競技特性を反映させていく必要がある。また、競技特性を明確にしていくために、他のスポーツと比較していく事は重要である。


♢他の競技と比べてみようよ

 例えばゴルフと比較してみると、固定したボールを打つのがゴルフ、動いているボールを打つのが野球。打つエリアが90度で限定されているのが野球、ある程度自由に打てるのがゴルフと考えると、野球の打撃においては90度の角度に納める技術が求められることがわかる。この場合の技術が道具を扱う技術になるので、バットを扱う技術が必要になる。もっとも金属バットは900g(高校生)になるのである程度のパワーが必要。コンタクトスポーツではないが、900gの棒を扱うためにある程度の力が必要になる。その道具を、18メートル先から来るボールに対してをコンタクトさせ90度に入れなくてはならない。これこそが、打撃が難しいという理由のひとつである。野球には様々な要素があるが、他のスポーツと比較して見てみるとより一層わかることである。




 指導者は、つい野球のことを考えてしまうが、実際他のスポーツと比較して考えてみることでわかることがある。または、練習のなかでも他のスポーツを取り入れてもよいと思う。他のスポーツをやることで野球との関係性であったり、野球の特別な部分に気づくことができるかもしれない。

♢他のスポーツを練習でやってもいいんじゃない?



 グラウンド上で他のスポーツをやる機会はあるだろうか?サッカーやバスケは、守備の動きと似ている部分がある。バレーボールも腕の使い方やレシーブのやり方など、ある程度精通する部分がある。打撃はゴルフ・ハンマー投げとか関係性がありそう。他のスポーツを練習の中で取り入れてみる、そのことによって野球の動作に良い影響をもたらす可能性がある。



♢野球人は身体能力高くないと、ね。むしろ高いから野球をやってるかも

 野球は求められる技能が多いので、他のスポーツを行うことでその技能を高めることができると私は考えている。「エースで4番」がいたり、「いいピッチャーはバッティングがいい」というのは身体能力の高さゆえだろう。アメリカでは、MLBのドラフトにかかっていたが、アメフトでも上位指名されている、なんて話をよく聞く。先日もそんなニュースを見た。





 有名なところで言えば武井壮と言うテレビタレントの方は、大変身体能力が高い。十種競技という競技をされていて、日本チャンピオンになっている。十種も競技があれば、競技の練習を大量にしなければいけない。しかし彼は、自分の身体を動かす練習(いわゆる身体操作)と、フィジカルトレーニングの練習をたくさんやっていたという。ここからのヒントは大いにある。



♢練習で野球以外のスポーツを、身体能力を高める練習を!

 野球は十種競技まではいかないが少なくとも4種の動きは求められるし、突発的なプレー・想像もしないプレーと言うものも起こり得る。自分たちが想像できる範囲で練習をするのもまず1つであるが、試合では想定していないことも起こるし、トーナメントという性質の中では、相手の対策がしにくい部分もある。MLBスーパープレイ集を見て「うわすげー!」となるが、持ち合わせた高い身体能力で、ある種「最適解」としてあのプレイが生まれているはず。その動作がいちばん良いと身体が反応して、ああいったプレイが生まれている。





 そう考えればより身体能力を高めないわけにはいかない。野球の練習をするだけでなく野球以外の動きをしていくことが野球につながっていくとも考えられる。野球は、野球だけをやっていてもうまくはならない。いろんな要素を使って早く効率的に上達する、アマチュア野球は時間との戦い。だからこそあえて野球以外の練習をして、より早く運動能力を高め、野球が上達することが良いと私は考える。

2019年2月15日金曜日

ミーティングもいろいろ

♢ミーティングにもいろいろある


 ミーティングについて少し考えました。ミーティングはいろんな形があって、例えば一般的なのが試合終わった後のミーティングがあります。それ以外に集合した時にミーティングであったり練習とか、試合の合間のミーティングがあると思います。これ以外にもお昼休みとかまたはそれ以外でも勉強会みたいな形でミーティングをすることもあると思います。ミーティングといっても、グラウンドで行う場合とグラウンド外で行う場合があるわけですね。一口に言ってもいろんな形式がまだあるんだなぁっていうのが私が思う所です。

♢ミーティングする前と後で変化が生じなければならない

 1番はミーティングを実施して、ミーティングをしたことの効果とか意味がきちんとグランドに反映されるのか、というところが1番大事なんじゃないのかなあと思います。例えば例えば「最近練習が続いてて疲れてると思うけど、ちゃんとストレッチをしましょう」「元気なくなってきてるんで、声出して行きましょう!」とか、それってどうなんですかね。


♢意識の明確化

 そのミーティングをして、話し合ったところにフォーカスをして意識付けをする、そしてその意識付けをして練習をして、最後の振り返りがある。というのが一連のプロセスになっていくのだと思います。結局ミーティングをして、「どういう行動するのか」「何をポイントとしてどういう目的で取り組むのか」ということを明らかにしなければならないと思うんです。つまり具体性のないミーティングって意味あるんですか?と思うわけです。もしグラウンドで行う練習前や練習中のミーティングは、より具体的に行う必要があります。


♢グラウンド上とグラウンド外

 実際はグラウンド外のミーティングもありますね。例えば武田高校も非常に高度なミーティングを行ってらっしゃいますが、「グラウンドで考える時間を出来る限り排除し、行動する時間を極限まで詰めていく」ような発想で行われているようです。正しい言葉かわかりませんが、on the ground」と「off the ground」の発想の違いだと思うんですね。


♢武田高校の事例

 武田高校は練習時間が50分しかないことが有名ですが、逆にそれ以外の時間はたくさんあるはずで、それ以外の時間をより効率的に使って50分を最大活用していきましょうみたいなスタンスが多々あるようです。というかあります。それは、「off the ground」のうちに意志や意図を伝えており、もしくは考えさせており、それを「on the ground」で実践していくことになるんです。実際50分しかないわけですから、「そこ立っとけ!」とか30分にわたる長い説教をしている時間はたいへんもったいないです。

♢クラブ活動週休2日

 この話がどこにつながるかというと、「部活動週休2日」に関わってくるのです。週休2日の話も、その残された時間の中でいかに成果を挙げるか、という話になります。練習量が落ちる、といわれる方もおります。実際物理的時間はなくなりますのでそのとおりかもしれませんが、他のチームも同じなので同条件ですよね。そのなかで勝っていくためには、その2日を有効活用できればいいし、むしろ5日の質を上げることにつながっていくはずなのです。そこで定期的なミーティングをして、「on the ground」に反映させていけばよいわけです。



♢うちはうまくできていないけど・・・・・

 本校の場合でも本校は練習時間が平日で言うと120分間・2時間位しか取れないのが現実です。120分しか取れないと考えると、いかにミーティングをして「off the ground」を最大限高める必要があります。「on the ground」でのスタッフの働きかけとか、意識とかの問題ではなくて、チームで120分間を使い切るスタンスがあるかないかっていうところに差が出ると思います。

2019年2月10日日曜日

最近の雑記と重心位置

プロ野球キャンプがはじまり、高校野球も練習試合解禁まであと一ヶ月となりました。本校でも実戦練習の比重が高まりつつあります。ゲーム形式になって、いろんなアラが見えたり不足が見えたり、できているところが見えたりします。ここで明らかになったことをフィードバックしながら、春を迎えたいと思います。


投手陣としては、
◎球速の変化
◎打者の反応
◎ピッチングデザインの活用・修正

あたりをポイントとして、残りの期間を過ごしたいところです。実際ブルペンで投球はしていますが、寒い日もありますし、実際に打者にむかって投げることで速度が出るはずです。ブルペンでの計測より、試合の計測がより一層重要になります。

また、実際打者がどう反応するかを確認したいところです。この時期の打者は反応が遅れがちですが、このタイミングで打たれるのかどうか、そこを確認したいです。同時に自分の強み の組み立てを少しずつつくっていますから、最大限強みを活かせているかを確認したいところです。



実際、今回のオフは収穫だらけでした。2ヶ月間でできたことは、かなりあります。そのひとつが、姿勢と重心位置です。『少年野球BLOG』で、筒香選手の姿勢の変化に言及されています。

これは、単純に「頭を傾ける」ことではないことに、今オフ気づきました。頭は傾かざるをえないし、そうしたほうが恩恵が大きいのです。まだまだ練習試合解禁まで、できることがあります。1日を大切に取り組んでいきたいですね。

2019年1月15日火曜日

視座・視野・視点

♢生きること=知覚すること
我々は朝日に刺激され起床し、朝食の匂いで空腹を刺激される。プロ野球のハイライトで興奮するのは、我々が野球の面白さを知っているからだ。残念ながら私はクリケットの試合の面白さを理解していないので、動画をみたところで興奮できないでいる。知覚したものだけを我々は認識し、知覚したものこそが自分の世界である。

♢新たな可能性に気づくために
野球の動画をひたすら眺めていて、学んだ気になるときもある。しかしそれだけで、変化していく社会についていくことができるのだろうか?置かれた現状から新たな可能性に気づき、自分の学びにつなげる必要がある。





8月11日 東北学院vs愛工大名電

 8月11日 東北学院vs愛工大名電 5-3 東北学院〇 かんたんなまとめ:初出場の東北学院が優勝候補の名電を撃破。 140キロトリオと激戦区を勝ち抜いてきた名電だったが、東北学院伊東投手の前になかなか点を取ることができない。初出場かつ新聞記事C評価の東北学院、投打がかみ合い長打...