2019年2月18日月曜日

スループットと自分の勉強


♢インプット・アウトプットってどうなん

今日はスループットについて、話をしようと思います。一般的にはアウトプットとインプットを行うことで、自分の知識になると考えられているようです。ここでいうインプットとアウトプットは、つまり知識を入れて(入力)、知識を外に出していく(出力)って言うところがポイントになっています。ただ正直、ここに関して疑問けっこう疑問だった部分です。果たして、そのインプットしたものがストレートにアウトプットしても、それは意味がないんじゃないかと思う所です。入力したものを、そのまま出力しても意味がないのではないのか、と思っていました。


というのも、例えば誰かに何か教える場面があるじゃないですか。自分が言ったことを、そのままそっくりその人が自分と同じ言葉を使っていることがたまにあります。果たしてそれはその本人は理解したのかな、と疑問になります。ほんとに理解してるんだったら、その自分が言った言葉を違う形に変換したり、別の言い回しをしたり、もしくは確認作業が時々入ってもおかしくないですよね。

♢ちゃんとワンクッションいれるべきなんじゃないのかね

そのワンクッション入って、自分で他の人に伝えたりしていると「理解しているのかな」と見えてきます。コピペじゃないですけど、知識の横流しというか、搬入したものをそのまま商品として出している感じです。カレー屋に来て甘口カレー注文して、ボンカレーを温めて出されたら「おいおい!」ってなりませんかね。たぶんカレー食べたい人は、その店の味が食べたいじゃないですか。たぶんそんな感じなんですよね。



では本当に理解しているとかわかってる、自分においても他人に言われたことをほんとに理解してるって言う事はどういうことか。それは先程も少し出てきましたが、「違う形で表現すること」「別の言い回しや例えが出る」ことだと思うんですね。もう少し言えば、自分の中に構造的に落とし込むことなんです。

♢建築家、もしくは『鋼の錬金術師』

僕のイメージでは、手に入った知識を建物だと考えます。その建物を一回全部壊して、バラバラにします。そして自分の手で新たに建物を作り直して、建物を完成させるんです。「これが建物ですよ、はいできましたよ」みたいなことですかね。僕の好きな『鋼の錬金術師』でいうと、「理解→分解→再構築」です。自分のなかで、知識を組み込んで接続していくわけです。「知識の構造化」って言ったらカッコイイですけど、自分で他人に説明できたり、たとえ話ができたり、自分の言葉で話すことができたらいいんじゃないかな、って話ですね。でもそれって、「インプットとアウトプットのどれに当たるの?」「自分の言葉で説明するのも、出力に当たるの?」「なんか段階足りなくない?」みたいな、違和感を感じていた次第です。




♢きっかけはアクティブ・ラーニングの調べ物


アクティブラーニングの調べ物をしているときに、遅ればせながら「スループット」って言う言葉を見かけて、「なんだこれ知らんぞ」と思ったんです。で、よくよく調べてみるとすると、「知識の組織化・理解の構造化」と定義されているようで、自分の中でヒットしました。ちなみにこれは杉山先生という専修大学附属高校の先生の論文です。
当事者意識を持った自立した学習者の育成を主眼とした 「授業/教師」のあり方(being)とやり方(doing)」杉山比呂之



自分でその「知識を使う」「言葉にする」「文章にする」って言うことをしないと、理解したとは言えないのだと思います。これがスループットで、そのあとに初めてアウトプットできるわけです。本当に理解したかったら、本を読んだら自分の言葉でまとめるべきだし、自分の言葉に置き換えてみて、自分が他の人に教えるのを前提にしゃべる、そういった作業が必ず他の必要になってきます。私も、こうしてブログに書いてますが、いきなり書くことはほとんどないです。メモをしたり、ベタ打ちをしてから、改めて文章化していきます。または、本の要約もしますし、選手に教えることは自分でやってみて理解してからですよね。

参考:徒然なるまま想い書き 
http://tsurzur.hatenablog.com/entry/2015/06/13/143836



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