2021年2月14日日曜日

「サイコだけど大丈夫」の印象的な一文

「サイコだけど大丈夫」という韓国ドラマをネットフリックスで観ています。そのなかで絵本が登場しますが、印象的な一文を引用します。


『悪夢を食べて育った少年』

 ”つらかった記憶 

激しく後悔した記憶 

傷つけられた記憶 

見捨てられた記憶

そういう記憶を胸に抱いて生きるものだけが

もっと強く熱く

そして柔軟にもなれて

幸せを勝ち取れるのだ と

だから忘れるな

乗り越えろ”


なかなかぐっときますね。上手くいかない、つらいことに直面している今。かなり身に染みる言葉です。今魂が成長しているんでしょうか、きっとそうなんだと思います。どこかで幸せを掴めるはず。腹を括って、前に進みます。

捕手の育成(『コーチングクリニック』3月号より)

 『コーチングクリニック』3月号吉田干城氏の記事によると、成長期前の投球障害はピッチャーよりもキャッチャーにも多いとのこと。防具をつけていたり、無理な体勢で投げたりすることが多いことが理由。第二次性徴以降は体の成長らによって捕手の投球障害は減る。


人数多いところは複数捕手制、少ないところは捕手兼任を何人か作っておくことか。現チームの規模(学年25~35人)では、正規の捕手2~3人、兼任で2~3人はひとまずできるように。学年で捕手が4~5人できると、紅白戦や練習試合で3チームに分けても対応できる。


スキル(フレーミング・ブロッキング・スローイング)を明確化して、サインや指示はベンチが出すようにすれば捕手の負担は下がる。毎年同じクオリティの捕手を求めるのは結構難しいので、まずは捕手のハードルを下げるべきか。


第二次性徴が終わった高校でも、捕手のケガは尽きない。肩肘の障害だけでなく、腰・首の障害もある。いつも座っている分、腰の負担は大きい。ということで、複数捕手制をやったほうがいいというね。


2020年5月24日日曜日

高校野球産業


 春夏と高校野球の大会が中止になるという事態をめぐって、各メディアが大きく報道する。大きく報道されればされるほど、称賛も批判も上がってくる。「甲子園や高校野球が好きじゃない」という人も、普段はあまり聞こえない(聞いていない)こともあり、世の人々が抱くイメージをなんとなく感じた気がする。


●高校野球産業
 この自粛期間、動画で過去の甲子園の試合を見ていた。改めて甲子園という場の力を感じる。シートノック・整備が終わり、集合、礼。ここで沸き起こる拍手。サイレンと共に第一球が投じられる。一挙一動に歓声が上がり、劣勢のチームが追い上げ始めると、唸り声のような音がする。「スタンドが揺れているように感じる」とか、「球場全体が相手を味方しているように感じた」など、甲子園という場がもつ力は、18歳の野球選手たちの技術にブレを生じさせる。「甲子園の魔物」というのは、集団心理が現れているんじゃないかと思っている。


 どうしても疑問なのは、アマチュアスポーツの大会で入場料をとり、甲子園ではビールを販売し、各種メディアが大きく取り上げ発刊部数や数字取りに一役買っているにも関わらず、「教育として商業性を排除する」という高野連の姿勢が矛盾していることだ。甲子園のスタンドの様子は、「興行」の様だと私は思う。選手たちを観て感動を覚える方々もいるのだろうが、一方で彼らで利益を得ている方々も山程いる。そこを無視して、「教育だ」と言い続けるのは、もうやめてほしい。「高校野球産業」として成り立っているのは嬉しいことだし、注目度が高く、指導者も選手もやりがいが生まれる。しかしあまりにやっていることが矛盾していませんか、と思うわけである。


●指導者も産業の一部 
 そういいつつ、私自身も野球を教えてお金をもらっている部分があるので、「野球で利益を得ている人」であり「高校野球産業」のど真ん中にいる。実際野球選手のセカンドキャリアや進路選択の一つになる高校教員、高校野球の指導者。成り上がりたい指導者もたくさんいるわけだし、指導のみで生活できればいいが、そうではない人もたくさんいる。そのなかで、「甲子園」とはキャリアアップの手段である。高校野球はコーチが取り上げられることは少なく、監督が「甲子園〇〇回出場」などと説明されるので、甲子園出場は名刺代わりになる。現役時代に野球で成り上がれなかった人は、ある種再び成り上がる機会が与えられることになる。


 甲子園ばかりが注目・評価され、輝かしい光を放っている。一方で、甲子園の光によって影となっているものもある。高校野球のコーチがそうであるし、控え選手、怪我をした選手。大人数のチームで試合には出られない選手。最小で年間3試合しか公式戦がなく、かつその公式戦にすら出られない選手が山程いるが、それでも「高校野球教育」は成功したモデルですか?





 私は、残りの人生をつかって、この「甲子園主義」を変質させる一端を担いたいと思っている。多様化した社会であるからこそ、「多様化した高校野球」を求めてもよい。そうあるはずである。

2020年4月23日木曜日

弟子入りするということ


実は私、弟子入りしていた期間があるんですよ。野球指導の弟子入りです。かつて教わった、それはそれは鬼みたいに怖い監督の元へ出向いて、指導のイロハを教わりにいきました。当時を思い出すと、「自分には選手としての才能はないが、指導者としてなら花を咲かせられる」なんて考えていたようなんです。しかしね、しこたま怒られましたよ。2年弱でしたが、本当によく怒られました。僕が気が利かなくて、不出来だったんです。その後加えて2年、そのチームに残りました。大学野球を指導した人、元プロの方、色んな方から学びました。合計4年間は、僕の指導者としての「修行期間」でした。


徒弟制度なんて、この時代は流行らないんですよね。残っているのは芸能分野だけでしょうか。伝統工芸品も跡継ぎがいない、なんて言われたりしています。少なくとも僕の身の回りに、「〇〇さんの弟子です」なんてものを聞くことはありません。堀江貴文さんは、寿司屋の徒弟制度をざっくり否定されておりました。なんでしょうね、一理あるよなうな、なんだか寂しいような気もします。

「マニュアル化してみんなが技術を習得する」「システムを構築して循環サイクルをつくる」とか、これはすごく大事なことだと思います。某ファーストフード店でアルバイトしていたときは、マニュアルやシステムの重要性を大いに学びました。それは組織として持つべきものだと想います。


日本史には「鑑真」という人が奈良時代に出てきます。鑑真さんは中国でめちゃくちゃ有名なお坊さんで、わざわざ失明しながらも日本にきてくださった方です。当時の日本が請うたことによって鑑真さんがいらっしゃったのですが、何をしにきたかといえば、「戒律」を伝えるために来ました。この「戒律」というのは、お坊さんとしての「証明書」みたいなもので、これをもらうと「オフィシャルお坊さん」になれます。中国のえらいお坊さん公認のお坊さん、みたいな。戒律をもらったお坊さんは、国家公務員的扱いでした。


奈良時代、税がかなりハードだったんですが、お坊さんになれば税がかからないことになってたんですね。だからみんな「私度僧」って言って、「自称お坊さん」みたいな人がたくさん出てきてしまったのです。ときの政府は戒律を授かった「オフィシャルお坊さん」を増やして、ちゃんとした仏教をやっている国にしたかったのです。かつ、税逃れの私度僧を駆逐したかったのです。そのために当時の中国のスーパースターである、鑑真さんにわざわざ来てもらったんです。



今令和の時代、この「私度僧」みたいな「自称〇〇」が溢れている世の中になっている気がするんですね。ぼくかて「自称野球ブロガー」ですし、「自称野球ツイッタラー」です。自称で本当にすごい人もいますよ、行基っていうカリスマ私度僧もいました。でも自称で本当にすごい人って1%じゃないですか。みんながみんなすごい、ってわけじゃないですよね。「〇〇風味の食べ物」って、風味はしますけど、所詮風味どまりで、本家を超えられない。


私は、「だれでも〇〇できる」時代だからこそ、然るべき場所や人に学び、然るべき資格や証書・証明・承認を受け、然るべき対象に力を発揮する、ことが望ましいと思っています。奈良時代だったら、絶対に戒律を授かって正式なお坊さんになったほうがいい。「自称医者です」という人を、どれだけ信じられますか。医師免許を捨て闇医者に転身した、という説明を受けても不信感はゼロにはならないと思います。

野球の勉強をするなら書店に並んでいるプロ野球選手の自伝を読むよりは、理論が体系化された運動学の本を読んだほうがいいです。しかし本を読むだけよりも、もう一度大学に通って講義を受けて学位をもらった方がいいです。色んな段階があるにせよ、「自分がよりオフィシャルに近いもの」を得ることって、その業界にとって非常に大事なことだと思いませんか。


子どものおままごとであればね、「ぼく〇〇になりたい!」と言ってなってもいいと思うんです。鑑真が授けてくださる戒律は、ある種の国家資格です。そこに普遍性と歴史が込められています。伝統芸能を世襲した人は、その芸能を創始してから世襲する日までの歴史を共に受け継ぎます。300年、400年という歴史を受け継ぐ場合もありますよね。


これだけ多様性と可能性に溢れているのだから、もっと高いところを目指す、より高いところに行くのであれば、「普遍性」と「歴史」を獲得する・もしくは証明・承認してもらう。なんかバラバラとしてしまいましたが、それがすごく大事な気がするんです。

2020年4月12日日曜日

希望


漏れなく私の学校も休校になっており、漏れなく部活動は停止状態ですから、かつてないほどに伸びやかな時間を過ごしています。春先は新年度準備でバッタバッタしておるのですが、びっくりするほど緩やかです。もちろん例年の対応との違いとしてバッタバッタはしていますが、クラス開き・授業開きが行われないので、まだ何もはじまっていない。そんな感じです。


その間に何をしているかといえば、ひたすら授業の準備をしています。専門書を読み、プリントをつくり、問題を解き、授業の予習をしています。今年度は国公立クラスの授業も持つことになったので、より一層深い準備が求められているわけです。何度掘っても、何度掘っても、まだまだ底は見えてきません。やることは尽きません。担当教科は日本史なのですが、掘れば掘るほど日本史の面白さが見えてきて、これまでとは違った光景があらわれそうです。


世の中では色んな感情が飛び交い、たくさんの言葉が飛び交い、議論が行われ、非難をしたり、称賛をしたり。「社会が混乱する」というのは、このことを指すんだと思います。まるで映画を観ているような、そんなシーンが毎日テレビで流れています。すごい瞬間に出くわしているんだと、きっとあとから改めて思うんだと思います。僕は世界大戦を経験することは今のところないのですが、パンデミックを目の当たりにしています。人類が語り継がねばならない、私が仕事として語り継がねばならない出来事を、肌身で感じています。


「やりがい」や「面白さ」や「豊かさ」というのは、すべて「生きること」の上に成り立っています。「生きている」からこそ、「面白さ」に出会うことができます。でも、「面白さ」を知っているからこそ、「生きている」のかもしれません。野球の面白さを知っている僕は、今この期間を我慢することができます。我慢すれば、きっと野球ができる。そう思っています。野球は、誰かに希望を与えることができるのかもしれません。うまく言えませんが、希望あふれる野球部を、希望あふれる選手たちを育てたい。そんなことを考えていました。

2020年3月24日火曜日

「育成システム」を考える 育成計画編


「育成システム」を考える 育成計画

文科省発表「運動部活動での指導のガイドライン」(以下ガイドライン)から抽出して、育成システムを考えてみたいと思います。今日は「育成計画」です。ガイドラインの内容をベースにしつつ、良さげなものを考えてみたいと思います。まずはエッセンスから。

エッセンス
①学校が運動部(部活動)全体の活動目標を設定する
②運動部長(運動部の教員のトップ的な)が目標設定をする
③運動部長が学校と交渉しながら環境整備をする
④各部が目標設定をし、そのためのプランニング(計画)を立てる。
⑤各部がある程度フォーマットの定まった評価方法によって評価を受ける
⑥プランと実際の差異、達成箇所と達成できない箇所を明確にし、次年度に活かす



①学校が運動部(部活動)全体の目標を設定する

ガイドラインでは運動部の活動を学校も関与していく必要性があると記述されていました。プロ野球でいう「球団」にあたる学校が、経営目標というか、部活動に対して目標(要望)を伝えます。「活動を頑張ってほしい」というよりは、「どの点を学校が評価をしていて、重点的に取り組んでほしいか」を各部に伝えていくということです。学校経営という観点で言えば、部活動は教育活動であるとともに、募集の一環です。もちろん各大会で成果を発揮してもらいますが、何が募集につながっているかを学校が分析し、要望を伝えることで学校と部活動が分離してしまうことがなくなると思います。文科省は、部活動運営が教員ありきではなく学校が関わっていくことで、管理職が部活動の実態を認知し、指導していく重要性を説いています。


②運動部長が目標設定をする

運動「部」ですから、部長がいて然るべきだと考えました。プロ野球でいう「GM」のような、各部の編成を担う役職があってもいいのかなと思います。名前がつかなくともそういった役割を担っている場合もあると思いますが、部活動全体のマネジメントの中心となり、実際に実態を把握し、指導していく立場の人です。各部種目が違うのでまたがるのは難しいとは思いますが、各部の取りまとめをすることで運動部方針が定まっていくはずです。


③運動部長が学校と交渉しながら環境整備をする

合わせて運動部長が学校側と交渉して環境整備を行っていきます。各部からヒアリングをして、必要な環境を整えていきます。運動部としてトレーナーを採用したり、スポーツドクターを招いたり、外部指導員を斡旋したり、セミナーや講習会の開催をしたり、、、、。学校の運動部の発展を各部に任せるのではなく、顧問のマネジメント・交渉能力に任せるのではなく、学校組織として強化をしていく。学校はアウトソーシングが苦手な傾向にありますが、専門性の高い人材が現場には必要です。「怪我なく部活動に励んでほしいので、トレーナーを雇います」「定期的にスポーツドクターに検診に来ていただき、怪我の状態を把握します」みたいなことでしょうか。全国探せば学校でトレーナーを雇っているところはあると思いますが・・・。

環境整備は今後多岐に渡って行われていくと思いますが、「現場の自助努力」だけでは絶対に変わりません。システムの構築が最優先です。あまり現実的ではないかもしれませんが、他の部と共同して何かを行っていく、というのは重要だと思います。


④各部が目標設定をし、プランニング(計画)する。

学校目標があり、運動部の目標・方針があり、各部の目標があります。本来親会社、大元が方針を定めた上で、各部がそれらに則って詳細な方針を決定していくべきです。目標は中期~長期によるもので、1年単位~5年単位で考えるべきかと。

ちなみにガイドラインでは「勝つことのみを目指すことのないよう、生徒が生涯にわたってスポーツに 親しむ基礎を育むこと、発達の段階に応じた心身の成長を促すことに十分留意した目標 や指導の方針の設定が必要です」とあります。スポーツなので、「勝つこと」を含めた上で、多義的に目標を定めるべきだと言っているわけです。


したがってガイドラインでは、
「ヒアリングをしてニーズを把握した上で」
「勝つこと」「楽しむための土台をつくる」「心身の発達」
を目標設定として掲げ、プランニングしていくことが大事だと言っています。またプランニングの際には「バランスのとれた活動に配慮する」とあり、休息・休養の必要性も述べています。


1年間程度の計画は「ピリオダイゼーション」と呼ばれます(複数年にかかることも指すようです)。
『スポーツ医科学辞典』によれば、
 準備期→専門的準備期→維持もしくは試合期→回復期
 に分けられるそうです。
 長時間の低強度のトレーニング活動から専門的な高強度で短時間の活動に変わる、とあります。また「オーバートレーニングを防止する助けにもなる」そうです。


どこがピークで、今何をやらなければならないのか。月々の、日々の活動は具体的に何をするのか。プレイヤーには日・週単位から年単位のプランを伝えておくべきだと考えます。また、見落としがちである「学校・保護者」にも最終的には「内容・ねらい・方法・時間」などを明記してまとめ、提示しておくことで、相互理解が深まるのではないかと考えられます。



⑤各部がある程度フォーマットの定まった評価方法によって評価を受ける

「計画」を立てたわけですから、評価をする必要があります。他競技は正直わかりませんが、野球を前提に考えてみたところ、

 「大会成績・練習試合成績・練習内容・時間・選手の技能の向上・身体能力の変化」

 を少なくとも学校では年単位で評価する必要があると思います。部活動単位であれば、本来はシーズンごと、年4~6回の評価は必要だろうと私は考えています。どんな能力の選手に、どんなねらいをもった指導をして、どんな結果が出たのか。それが夏の大会で1回戦敗退だったとしても、野球未経験者が通算15本のHRを打てるようになったとか、身体能力が大幅に向上したとか、プレイヤー自身を評価することができます。

また、部活動以外の活動や実績として
「学校の成績・進学実績・進学後の活動・慈善活動」なども評価対象であると考えています。


⑥プランと実際の差異、達成箇所と達成できない箇所を明確にし、次年度に活かす

最終的には、またそれを修正し、次年度に活かすことになります。データが蓄積されていけば、わかることが増えていきます。年々バージョンアップした指導を行えるようになりますよね。



育成計画を立てるということは、
→将来を想像すること
→プレイヤーの可能性を見つけ、育んでいくこと
→計画した以上は変更できない(他者の目がある、やるしかない)、ということ
→やるべきことが明確になること
→チームが一枚岩になれるということ

でもあります。
計画を立てるというのは簡単ではありませんし、知識もパワーも必要になります。しかしその場限りの指導にならないように、選手・チームを想像を活用してデザインしていく。やるべきことはまだまだありそうです。続きは後日。



2020年3月22日日曜日

「育成システム」を考える



「育成システムをつくろう」「選手の能力開発を行っていこう」と考えたのですが、何ごともはじめは真似するところからはじまります。モデルケースはなにかあるのかな、と思い探してみると、文科省が「運動部活動での指導のガイドライン」というものを平成25年に出しているではありませんか。
文科省 「運動部活動での指導のガイドライン」


大阪府桜宮高校の体罰問題が明るみになったことによって、国として部活指導の方向性を考える必要性が出たわけです。今でも体罰やっているところはあるでしょうし、パワハラ・人格否定を指導だと思っている方も少なくありません。どのカテゴリにもそういう方々はまだまだいるんでしょうね。


文科省は指導の充実のために必要と考えられる7つの事項を挙げています。さらにそれをギュッとギュッとして、私なりに解釈してみました(原文がみたい方は上記のリンクからどうぞ)。


①学校全体で部活動指導に取り組み(外部指導員など含めた環境)、育成計画をつくる
②科学的アプローチをとる
 データ集計や医学・科学的な知見も活用、トレーナーなども
③コミュニケーション方法を考える
 コーチング的な要素  選手の自主性を育む
④体罰・暴言をなくす
⑤指導者が学ぶ
 マネジメント・コミュニケーション・運動技術・ルール・審判
 心理・生理・栄養・休養・発達


ギュッとまとめて、こんな感じだと思うんですね。何事もそうですが、真似をするところからはじまるわけです。ただガイドラインはガイドラインなので、実際に自分が監督だったらどうやって取り組んでいくか、自分の考えをまとめてみようと思います。



平成30年には「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」というものが発表されています。実際学校・教員の仕事量が多く、過労状態にあると言われています。仕事の一つとして部活動がありますが、「部活動」自体がブラックの原因の一つとして、社会問題化している側面もあります。公立中学校の教員の方々で「部活指導しない」「顧問にならない」と言っている人たちも増えてきました。「ブラック部活動」なんて言われたり、顧問をやっているせいで時間がない、みたいな話もあったり。


もちろん私は部活動を肯定的にとらえてますし、野球の指導に取り組むことは私が心の底から楽しいと思えることでもあります。「土日休日なんて無いのが当たり前」ですが、それって異常なのかもしれない、と少し思います。僕は「物好き」というか「変態」ですし、むしろ「野球を教えたい」と思って教員をやっています。でもそれって全教員に当てはまるわけじゃないですよね。それを「無償で時間外までクラブをやってほしい」というのは筋が通らないかもしれません。ひとまず、まだ考える余地がある、ということで。また続きは後日。

8月11日 東北学院vs愛工大名電

 8月11日 東北学院vs愛工大名電 5-3 東北学院〇 かんたんなまとめ:初出場の東北学院が優勝候補の名電を撃破。 140キロトリオと激戦区を勝ち抜いてきた名電だったが、東北学院伊東投手の前になかなか点を取ることができない。初出場かつ新聞記事C評価の東北学院、投打がかみ合い長打...