2018年11月9日金曜日

打者の認知とピッチトンネル①


打者の認知とピッチトンネル①



ここ数年は「ピッチトンネル」という概念が普及してきました。言葉だけが先行し、私の理解も追いついていなかったので、ここに記録をしておこうと思います。とりあえず今日は打者の認知について。


このピッチトンネルについて考える場合、はじめには打者の認知について考えなければなりません。
以下の画像は打者がボールをとらえる際のメカニズムを解説しています。英語が多くてあまり自自身がありませんが、他にも集めた情報と照らし合わせながら進めます。神事氏の記事から引用しますが、Baseball Prospectusと多少の誤差があります。それも問題ない範囲かな、と個人的に判断しております。

 (引用元:Baseball Prospectus)


◇打者の認知 (以下神事氏の記事から引用)

球速140キロ前後の投球は約0.45秒で打者の手元に到達
脳が指令を出してから「振る」と決めて動き出すまで0.1秒
実際に動き出して投球にコンタクトするまで0.26秒
リリースしてから0.19秒の間で打つかどうかの判断をする(0.45-0.26=0.19秒)
※実際にスイングはじめてから軌道を修正する余地はわずかである、としている

ここに関してはBaseball Prospectusでもほぼ数値は一致しています(あたりまえか)。
画像であればリリースから3つめの矢印の部分(50ミリセカンド)のうち、25ミリセカンドで判断しています。ここで数値を足すと、
100+75+25=200 
なので、これは約0.2秒換算となります。


◇およそ0.1秒で投球は4mちょっと進行する

約0.45秒でホーム付近に到達するとなると、0.1秒あたりに4.1m進みます。
となると、0.2秒ではおよそ8m進行しています。この段階で打者が「ボールだ」と判断すれば振らないわけですし、軌道がストライクゾーンにくれば打つ準備をはじめるわけですね。


◇少なくとも振って当たるまで0.16秒かかる

振ってあたるまで0.16秒かかることを考えると、少なくとも投球から0.25秒ほどで振り出さないといけません。図では4つめの矢印にあたります。そしてそこには黒の吹き出しで「バッターがスイングをはじめるポイント」とかかれています。そうなると、ボールはおよそこの時点で10.25m進んでいることになります。ここではもう打つ軌道や予測は決まっていますから、それを覆すことは難しいです。


ガバガバ翻訳&ガバガバ計算なので、ぜひデータ系に強い方が厳密なものを解説していただけると助かります。続きはまた後日。




参考:Baseball Clinic 11月号  科学データが導く野球の新常識(神事努)
Baseball Prospectus

2018年11月5日月曜日

配球と『野村ノート』


配球と『野村ノート』


 ある種日本の野球神話として成り立っている「困ったときのアウトロー」信仰。この信仰を作り上げたのは、かくいう野村克也氏である。今も評論家として活躍されており、本もたくさん出版されている。本屋の野球コーナーに行って、野村克也氏の本がない本屋はないだろう。日本球界における野村克也氏の影響力は凄まじいものである。ダウンスイング信仰を結果的に生み出すことになった王貞治氏(実際はまったくダウンではない)や川上哲治氏も凄まじいが、捕手理論、配球論に関する野村克也氏の影響力は、とどまることを知らない。その一端を担っているのは、『野村ノート』である。



はっきり言えば、私はこの『野村ノート』によって育てられたといっても過言ではない。選手にも度々紹介し、中学生用に簡単にまとめたテキストを配布したこともある。そして今でも捕手には読むことを奨励している。職人肌が強いプロ野球選手に「社員教育」を行い、弱者の兵法によって野村氏が率いたチームは、たびたび球界にトップに立った。まぎれもなく『野村ノート』は名著であると言えるし、『野村ノート』が販売される以前から「ID野球」としてデータを活用した野球は、現代野球の萌芽とも言ってよいだろう。しかし、時代の変化はときに残酷である。


●「困ったときのアウトロー」が通用しない
近年のMLBでは、アウトローでさえもHRにする場面をよくみる。「骨格の違い」と言ってしまえばそうだろうし、「パワーがあるから」という言葉で解決もできる。しかし実際にMLBで起こることは、NPBでも起こりうる未来である。「ダウンスイング信仰」と「アウトロー信仰」はそれぞれ仲がよいので、手を組んでいるうちには問題がない。しかし徐々に日本球界も変化が起こっている。HRが飛び交い、空中戦が多かった日本シリーズ。広島カープ鈴木誠也選手のライトへのHRは、新しい時代の到来を感じた。


●変化球の種類と高速化
NPBにおいても、リリーフ投手は150キロを超えるか、なにか特筆すべき特徴がないと活躍しにくい印象を受ける。事実、ソフトバンクのリリーフ陣は150キロを超えている投手ばかりだった。実際データでは、日本人打者は150キロ以上の球速に弱いことがわかっている。活躍する投手陣は、やはりストレートが速い。変化球の種類も、いまでは区分することが意味がないほど多様化している。フォークほど落ちるツーシームや、大きく曲がるスライダーとパワーカーブの違い。厳密に区分する意味はあると思うが、野球を知らない人が見たらなんの事かわからないだろう。




●『野村ノート』がベースになっている時代
今では「内外の対になる変化球」「インコースの使い方」など、『野村ノート』に書かれていることは広く普及している。ある意味スタンダードになった、といっても大きく間違いではない。カテゴリの上位層同士の戦いであると、その駆け引きが伺える。カウント3-2からフォークで空振りをとる大学生もよく見かける。「野球のベーシックな考え方」として野球の思考法としての『野村ノート』の意義は大きい。しかし残念なことに、以前は「知識がある」ことが優位に働いたが、今では知識があることの価値が下がっているフシがある。『野村ノート』を読んでも、ベースとなる学びにはなるが、勝ちに貢献できるかといえば難しい問題である。


ピッチャーの進化があり、バッターが進化し、知識が共有化されていっている。その先に、どんな「配球」があるのか?まだまだ思考の余地が残されている。

2018年11月4日日曜日

ザッカーバーグのスピーチ



大変申し訳無いのですが、私倉本圭三さんをよく知りませんで、あまりご説明ができません(経済思想家・経営コンサルタントとされています)。ただTwitterのタイムラインでザッカーバーグのハバード大学卒業式スピーチを翻訳された、というのを見て読んでみた次第です。勇気づけられる内容だったので、此処に記しておきます。

スピーチとして有名なものはスタンフォード大学卒業式のスティーブ・ジョブズのスピーチが有名ですよね。それに匹敵するほどのものだ、と言われているそうです。




マーク・ザッカーバーグの説明です。(Wikipediaより)
マーク・エリオット・ザッカーバーグ(Mark Elliot Zuckerberg、1984年5月14日 - )は、アメリカ合衆国のプログラマ、実業家。Facebookの共同創業者兼会長兼CEO。
ハーバード大学在籍中にソーシャル・ネットワーキング・サービスサイト「Facebook」を立ち上げた[注釈 1]。2010年のTime誌「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。

もっと簡単に言うとFacebookをつくった人です。「時短や意思決定のために同じTシャツしかきない」といったことでもしばしば話題になりました。大学生の頃、ビジネス書をかじるように読んでいたので、もちろん関連書物も読んでおりました。


●以下スピーチの簡単な要約
我々世代(青年期)の課題は「目的を持つこと」ではなく「誰もが目的感を人生のなかで持てる世界を創り出すこと」である。目的とは、「自分がちっぽけな自分以上のなにかの一部だ」と感じられる感覚のことである。目的が幸福感を創り出す。NASAの清掃員に「何しているの?」と聞くと「宇宙にいくお手伝いをしている」という。つまり掃除であっても「自分は宇宙開発に間接的に貢献している」と感じているということ。これが幸福だということ。それをみんな(世界中の)にもってもらうように努力するのが、我々世代である。

「自分じゃなくても誰かがやるだろう」という感覚は、誰しもが持つ。将来起こるべき変化が見えていて、きっと変革が起こるだろうという思い。それは、「誰か」ではなく「あなた」がやるのだ。そのあなたが感じている革新的なことは、あなたがやらなくてはいけない。それはあなたの目標である。そしてあなたは他の人にもその「人生の目標」が持てるようにしてあげなくてはならない。


その「目的感」を持ってもらうための3つの方法がある。
大きくて意味のあるプロジェクトについて語り、失敗の自由を許容し(チャレンジすること)、ローカルなコミュニティをつくること。この3つによって、

まずは、大きくて意味のあるプロジェクトについて語る。大概の場合は、大きな目標に向かっているすべての人は、狂人あつかいされる。しかし、答えは誰も知らない。そもそもザックがFacebookをつくるときにすべてを知ってからつくったわけじゃない。大きなプロジェクトやアイデアの種は、本当に正しいかどうかわからない。でも誰かがはじめ無くてはならない。

そしてそれと同時に、チャレンジすること。すべては失敗から生まれれている。失敗せずにいる起業家は存在しないし、そもそもFacebook自体が色々失敗続きだった。

そして、ローカルなコミュニティをつくる。我々はグローバル社会にいるが、問題は目の前にある。小さな、小さな問題解決からことは始まる。だからローカルコミュニティをつくる必要がある。

以上要約。


いやはや、要約もなんだかしどろももどろで、難しいです。なんか思ってたのと違うのですが、とりあえずそれはそれとして。ここから私が思ったこと、感じたことです。


●責任感
まずハッとしたのが、
「しかし「誰か」がやるんじゃないんです。”あなたが”やるんです。」

という言葉です。
野球界における今後の将来。これは皆さんがいろんなことを考えておられます。私ももちろん考えています。「俺がやってやる!」という思いももちろんあります。でも、「きっと世の中が変わっていく」と思っていた節も否めなくはないです。でも、この一文で責任感を感じました。次の世代のために、自分がやらなければならないことを感じました。
「野球が再び世界の頂点をとる」ことを、私は目標にしています。また、「100年後も野球を残したい」ということも、目標にしています。そして次の世代には、野球の楽しさや面白さを継承していってもらいたいのです。私はやまほど勉強をして、目標を達成します。

●わからなくたっていい
正直言えば、目標を達成するためのプロセスは全然見えていません。私はひたすらに学び、よりよい成果を上げることが第一だと考えています。

「大きな目標に向かっているすべての人は狂人扱いされます。」

そのために答えは知らなくていいのです。むしろわからないのが当然です。そしておかしな人であってよいのです。むしろ狂人でなければ、そうはならないのだと思います。当然ですよね、時代から逸脱したことをしているのですから。少しホッとしたような、安心したような、そんな感覚を覚えました。


●グローバルに考え、ローカルに動く
ソニーの森田昭夫氏は「グローバルに考え、ローカルに動く」と言いました。世界的に視野を広げ、いかに草の根運動として地道な活動ができるか、です。結局は目の前にある課題に対処しなければなりません。私も今のチームが抱えている課題を、ガンガン解決していかなければなりません。おそらくですが、その過程のなかで賛同者が生まれます。その賛同者とともに、小さな波をつくっていくのです。

Twitterなども1つのローカル・コミュニティです。またはラインのグループなどもそうです。もちろん生身でも形成できるはずです。そういったローカル・コミュニティがあって、それが大きな波になっていくんですね。



すごく雑多な感じになってしまいましたが、本当に感動したのです。勇気をもらいました。これでまた、前に進むことができそうです。

監督とコーチ③


監督とコーチ③



監督とコーチ①

監督とコーチ②



監督とコーチ①・②で、それぞれの役割について論じてきました。監督は最終調整役であり、コーチはそれまでの過程を担っています。料理で例えるなら、下準備をするのはコーチ、最後の仕上げが監督です。世界観を作り上げることが成果を上げる集団の特徴だとして、監督はその世界観を構成する構成作家であります。コーチは、そのなかで「踊れ」と言われた踊らねばなりません。これは言いなりになる、ということではないのです。監督が構成する世界を成立させる必要があります。それも、集団に必要な一部なのです。

●結局両方共に求められるのはバランス感覚
つまるところ、監督・コーチに求められるのはバランス感覚であると考えています。野球はスキルが多いので、たくさんの練習をある程度求められます。「打つ・走る・投げる・捕る」という4技能です。そしてそれを相手に合わせて行わなければなりません。いわば「スキル練習」と「ゲーム練習」は別なのです。

「ゲーム練習」は、みんな大好き「ゲームノック・バッティング」「紅白戦」「練習試合」などがゲーム練習です。これらの練習はゲームを遂行する能力を高める練習になります。
「スキル練習」は、通常の打撃練習やノックなど、スキル向上のための練習です。

ゲームノックなどは、スキル練習のうちに入りません。練習にならないことはないですが、受ける本数が圧倒的に少ないことと、「判断する練習」がメインだからです。ある程度は量や時間を投資しないと、能力は成長しません。

反対にスキル練習をたくさんやることは大切なのですが、野球には必ず状況がくっついてくるので、その判断する練習をしなければなりません。かつ判断も短い時間のなかで実行する必要があるので、実際の試合でなければわからないことがあります。

つまり、スキルを伸ばしたいコーチと、試合に勝ちたい監督。ここが矛盾する点があるということです。試合に勝つためには、いくらスキル練習をしてもゲーム性を高めなければいけません。反対にゲーム性ばかり求めも、選手はうまくならない。往々にして、監督が練習プログラムを決定する権限を持っているようです。そこでゲーム性に関することを多く取り組み、個人のスキルが高まらない・軽視される傾向にあるように思います。いずれにせよ、「育成」と「勝利」のバランス感覚が、双方に求められるところです。


●コーチは監督の目線を持ってみる
正直言えば、私も監督をしたことがあるわけではないので、よくわからないことだらけです。以前に1年間ほど下級生を監督する機会があったので、そこでコーチと監督の違いを感じたのが元になっています。

やはり自分が主導するようになると、以外と見えていない部分に気づきます。「時間管理」と「練習運営」で手一杯だったので、そのときは肝心の指導にまでなかなか行き届かないことが多かったです。そうなると、コーチがきちんと練習の意図を理解し、運営に協力してくれると助かりました。

やらなきゃいけないことや、やりたいことは、たくさんあります。1年後にはどういう集団・選手になってほしいか、を踏まえ、「1年間」のなかで、「どの能力」を、「どういった方法」で伸ばすか。そしてそれを細分化して今日のプログラムとして、どうやって落とし込むのか。監督はそこをいつも考えているのだ、と気づきました。とにかく時間との戦いですから、今日の練習で最大の効果を上げ、きちんと家に帰さなければなりません。これまで感じたことのない責任を感じました。


そしてそのなかで、試合に勝たなくてはならないのです。やはり監督は「見る」ことに徹したいですよね。私が監督ならば、指導するのもそうですが、「自分が教えなくても良い仕組み」をつくり、コーチと選手を「自走」させ、ゲームマネジメントに集中したいです。

そう感じたからこそ、コーチは勝敗関係なく選手との指導に徹する必要があると思うのです。とにかく選手を育成することを考えるのです。監督は時間管理をして、観察をしております。そこで私達コーチが指導をします。監督はある程度時間内で練習を回したいので、あまりオーバーして指導されるのは好まないと思われます(これは監督の好みでしょうが)。だから、練習をまわすために指導する際には時間に気をつけなければならないし、「時間対効果」を高めなければ多くの選手を教えることができないのです。

●やっぱりスポーツっておもしろい
ラグビー日本代表には、数多くのスタッフがおります。昨日優勝したソフトバンク、ゲーム終了後には、選手たちがたくさんの球団関係者と握手をしておられました。優勝するというのは、チームが勝つというのは、たくさんの人の努力によって成立しています。決して監督と選手だけの手柄ではないです。数多に渡る支えがあって、はじめてそれが成り立ちます。だからこそ、「勝って恩返し」がしたいですし、野球ができることに「感謝」をし、現場にいるものは「人間性」を高めて成長していかなければなりません。

そう思うと、スポーツをするということは、そういった社会構成を学ぶことができる機会になるのです。これが「教育の一環」という意味だと思います。教育の一環という言葉ばかりが先走っている様子が、なくはないです。私が常々思うのは、本気で野球に取り組み、本気で成長を願うからこそ、「教育の一環」として人間性の成長があるのだと思います。私は、技術や野球自体を追求した先に、人間性の成長があると考えています。もっと成長したいと思ったときに、支えてくれる方々がいる。だから、その方々のためにも成果を出したいと思うはずです。そこが人としての成長であり、「人間力」なのだと思います。我々野球指導者は、その責任があります。







2018年11月3日土曜日

監督とコーチ②


監督とコーチ②


次はコーチのことを書こうと思って、自分の本棚をさらっと見てました。しかし「コーチ論」を書かれたものは案外少ないんですね。監督や指導者の本はありますが、コーチの本というのは、どうやらスポットが当たらないのかもしれません(Amazonを見ると出てきますが)。「人がやらないことはチャンス」ですから、参考文献が少ないなかで思うことを書いてみたいと思います。

●教えるに人間に求められるもの
大学生のとき、某ハンバーガーショップで4年弱アルバイトをしていました。最終的にマネージャーも1年半ほど経験したのですが、マネージャーになる前はトレーナーという、新人アルバイトに業務を教える役割を1年ほど経験させてもらいました。会社から勉強する時間を与えられて、色々勉強をするのですが、トレーナーには「4つの役割がある」ということを学びました。
その4つが、

「エキスパート」「ロールモデル」「ティーチャー」「コーチ」の4つです。

簡単に説明します。
「エキスパート」:マニュアル通りに正確で、ピーク時においても正確に行動できる(プロフェッショナル)
「ロールモデル」:他人の模範となるような行動・言動をしている
「ティーチャー」:新しい業務や商品の作り方などを正しく教えることができる
「コーチ」:やり方を一緒に考えたり、同じ方向を向いて考える


もう少し解釈を加えると、教える人間に求められるのは
・プロフェッショナル(専門性が高い)であること
・人間的に成熟していること(他人の模範となるような行動・言動)
・教えるプロセスを理解していること(段階を踏むなど、HOWの部分)
・同じ方向を向いて考えることができる

ということだと考えられます。今思い返せば、「確かにこれはそうだな」と改めて感じるので、某ハンバーガー店のマニュアル力はすごいですね。確かに新人で入って、教えてくれる人が怖かったりいい加減だったら嫌じゃないですか。野球においても選手と密接に関わり、人間的資質が求められるポジションであります。


●ティーチングとコーチングの違い
そこでよく誤解されがちなのですが、「ティーチング」と「コーチング」の違いです。ここがわかると、指導者業は結構円滑になるような気がしています。
以下を参考にしておりますので、こちらも御覧ください。

そして簡単なまとめとして、
「ティーチングは一方通行で、コーチングは双方向」
ということです。
結構あるじゃないですか、伝えたいことだけワーッと言ってしまうこと。私もよくあります。それは正直相手に押し付けるだけになってしまうので、相手に投げつけるだけになってしまいます。こっちが一方的にプルダウンしてる、みたいな感じです。そしてそれを受け止められない場合もあります。

コーチングとは、相手に合わせた形でボールを投げてキャッチボールをするのです。そこで最終的に普通にキャッチボールができるように、そしてお互いプルダウンし合う、みたいな。きちんと相手と同じ熱量で同じ方向を向いて、話を進めることです。



●コーチングは同じ方向を向くこと
コーチングに関しては『コーチングマネジメント』(伊藤守)がおすすめです。これは本当に名著です(Amazonレビュー3.7でレビュー数46)。

この本の一節にこんなものがあります。
「(コーチングのイメージとして)コーチとクライアントが同じキャンバスに向かって座り、コーチはクライアントが未来に向けてビジョンを描くのを手伝う」


これなかなかできないですよね。立場関係があるので、選手とコーチで必然的に上下関係ができてしまいます。だから、率直な意見や感想が聞けない場合があります。しかし、コーチが同じものを見ようとすることは大切です。同じ方向を向くこと、そして同じものを見ること、会話をすることです。否定せずに聞き、一緒に考えることです。


●結局野球に求められるコーチ像とは?
以前のチームで常々言われた言葉が、いつも頭にあります。
「いいか、監督は最後の味付けだ。コーチが下準備して、ほとんど完成させる。お客様に出すときに初めて、かるく塩をを振るのが俺だから。俺は最後の調整役なんだよ」

これを反対に考えれば、
「最後の調整以外は俺の仕事じゃないよ。だからちゃんと下準備して、いい食材を頼むよ。」
なんですよね。コーチの役割は、「選手を育成すること」にほかなりません。監督とのやり取りで「選手がいない」と発言が多々出てくる場合があります。それって、我々の職務放棄ではないですか?


「誰もいない」というのは、必要なときに準備できないということですから、コーチとして如何なものか、と。諸々事情があるとして、まだ発展途上であるとか、怪我明けであるとか、そういう付帯状況があるのかもしれませんが。事情があるにせよ、「提供できる食材をつくる」というのがコーチ陣の責務だと考えています。







監督とコーチ①


監督とコーチ ①


日本では指揮官のことを「監督」と呼び、アメリカでは「マネージャー」と呼ぶそうです。マネージャーとは「経営する人・管理する人」と考えられます。呼び名や文化の違いはさておき、実際に監督に求められることはどんなことが求められるのでしょうか?


経営に関する名著、『マネジメント』(ドラッガー)には、こんな一節があります。


「複数の人間が協力して、意志を疎通させつつ多様な課題を同時に遂行する必要が出てきたとき、組織はマネジメントを必要とする」


『もしドラ』を読んでいないので恐縮ですが、野球チームにおいてはマネジメントはどのように活用されるのでしょう。「チームとして勝つ」のは共通の目標ですが、そこに至るまでの課題は多様です。とくに野球は求められるスキルが多く、人もたくさんグラウンドにおり、ある意味いろんな「事業」が同時進行しています。それぞれの人間が野球に取り組み、チームとして勝つこと、そのために監督はどんなことをやるのでしょうか。



●マネージャーをしてマネージャーたらしめるのは、成果への貢献という責務(『マネジメント』より)

「マネージャーの役割は、投入した資源より大きなものを生み出すこと」
「直ちに必要とされているものと、遠い将来必要とされるものを調和させていくこと」

これはマネージャーの役割として挙げられているものです。与えられた資源よりもより多くのものを生み出す、つまり「時間対効果」や「費用対効果」がより大きくなればよい、ということです。本の中ではオーケストラの指揮者が例として挙げられています。多様な楽器を調和させ、ひとつの壮大な世界観を創り出すのです。費やしたリソースから何倍も何十倍もの価値を生み出すこと、それがマネージャーのひとつの役割のようです。

野球は「試合で勝つ」という目標があります。それと同時に、学生野球であれば「人間形成」という語句がついてまわることも多いです。監督としては今週末の試合に向けて仕上げていく必要がありますが、同時に一番大きな大会に向けてチームをつくっていくことも大切です。その両方の視点なくして、チーム作りはできません。






●「木を見て森を見ず」から「一帯を見て森を見て木を見る」
とかく『マネジメント』を引用してみました。自分が監督になったら、必ず読み返すと思います。組織を運営し、動かしていくとはどういうことか。簡単な引用はしましたが、心に残る言葉ばかりですし、きっと組織運営に役立つはずです。


監督とは成果を出すための存在です。成果を出すための責任があります。「部分の和」「ポジションごとの力をつける」のは、コーチの役割です。各部分の持っている力を最大限に引き出す能力、これが監督の力です。1年間のチームの成長をデザインし、形にしていくことです。以前所属していたチームの監督に、こんなことを常々言われていました。

「いいか、監督は最後の味付けだ。コーチが下準備して、ほとんど完成させる。お客様に出すときに初めて、かるく塩をを振るのが俺だから。俺は最後の調整役なんだよ」


監督としての責務のために、最後の微調整を加えるのが監督です。その準備をするのが、コーチなどのスタッフです。コーチ陣にはその食材を準備する責務があります。監督は大きな介入はせず、全体の調整を図ることがもっとも重要なスキルなのです。部分ばかり見て全体を見逃す「木を見て森を見ず」では、チームの行方を見失います。「一帯を見て森を見て木を見る」、つまり森自体の周辺から見て(地域や所属周辺一帯もしくは世界!)、自分たちの森を見て、細部にまで眼を届かせる。そして余分なところは削除し、よいところは成長させ、チームを完成させるのです。


●宗教、カリスマ、ディズ○ーランドたれ
全体を構成していくのが監督の役割ですが、優秀な組織はそこに哲学を感じます。そのチーム全体を抱合する世界観を感じるのです。私が広島の武田高校を訪れた際に思ったのは、一番はここでした。端から端まで、すべてが武田高校の世界の一部なのです。ゴールのために、すべてがシステマティック且つ情熱的に動いている状態なのです。ディズ○ーランドの園内掃除の方は、「星屑を拾っています!」といいますよね、雨が上がると雨水で絵を書いてくれることもあります。モノレールから降りて駅から出た瞬間から、そこは夢の国なのです。

宗教には、そこに世界観があります。教典があり、聖地があり、儀式があります。創造された世界観はフィクションであったとしても、確かな力強さがあります。構成された圧倒的な数のストーリーは、人を惹きつけるのです。2000年以上も生きつづけるのは、このストーリーの壮大さ、構成している世界観の強さにほかならないのです。実は、私が映画や小説を読む理由はここにあって、優れた映画や小説は世界観が壮大で構成が素晴らしいからです。ここが自分が監督になったとき、大いに役立つのではないか、と思っています。



世界観を構成するためには、私達がもっと世界を知ることが1つです。広い世界の様々な事象を、積極的に受け入れていく必要があります。大きなものを構成する難しさ、構成方法を知ることです。そしてもう一つ、細部にこだわることです。端から端まで、世界を作り上げることです。この監督して求められる細部の視点、これを養成するのはコーチをしている期間がそれを養成するのだと考えています。

2018年11月1日木曜日

「感覚派」と「理論派」、大事なのは「知覚」


「感覚派」と「理論派」、大事なのは「知覚」


選手や指導者を分類するときに、「感覚派」と「理論派」にわける場合があるようで、「自分は感覚派だから」とかそういったことを表現する場合がある。正直なところを言えば、その分類に興味も関心もないし、統計を取る必要もないと思っている。結局のところ人間は皆「知覚」して生きているし、なにかを考えるときは筋道が通るように「理論的に」考えている。どちらかが優位な場合があるのかもしれないが、知覚がないところに理論は生じず、理論なくして高度は発展はありえない。


●見えている世界や感じる世界は全く違う
運動指導において、この「知覚」を逃すと、指導が成立しなくなる。指導する対象がどんな感覚をもっていて、どのように感じるのか。「もっとアッパーで入っていいよ」と指導する、本人が相当アッパーで打ってもちょうどレベルスイング程度であったりする。形式上はレベルスイングだが、本人がそれをアッパーだと捉えている場合がある。その違いをそもそも認識しなければならない。


●相手の運動感覚に入り込む
以前『運動学講義』(金子朋友)を懸命に読んだ時期がある。この本に、私にとって印象的な一文がある。

「その個人の運動感覚の世界で、どのように理解されているのかに注意を向けなくてはならない」
これは「運動修正における言語認識」という項目にある文である。もう少し簡単に言えば、「相手が受け取る感覚に気をつけて」になる。読んだときに大きく膝を打ったものだが、教えるときには相手の運動感覚に入り込むことが重要なのだと、私は認識した。


●プロ野球選手の「上から打て」は誤解
昨今よく話題に上がるのが「感覚と実際の違い」である。プロ野球選手の感覚では、スピードボールに遅れないために「上から打つ」ぐらいでちょうどいい。そもそも柔軟な肩甲骨や適切な身体技能を持ち合わせているために、「上から打つぐらいでちょうどいい」のである。プロからしたら上から打って打てているから、「自分はそう打っているのだ」と認識している。ここで大問題なのは、「上から」とは一切定義がされていないことだ。定義がなされていないことを教えることは非常に危険で、認識が違うから、間違った伝わり方をしてしまう。


●正しく伝えるためにはを感覚を合わせる
選手から質問を受けたときに、私から質問で返す。「もっと飛ばすにはどうしたらいいですか?」と聞かれても「飛ばすというのは飛距離を飛ばすってこと?飛距離を出そうとすると、多少は確率下がるけどいいの?」など。
飛ばしたいけど試合ではヒットを打ちたい、であればスイング起動は検討する必要がある。そもそも筋肉量が足りないかもしれない。もしくは可動域の問題かもしれない。色々話してみたりする必要はあるだろう。こちらから声を掛けることが多いが、そのときは動作を見てから決める。そして悩みを当ててみる。「もっと飛ぶ感じしない?」とか「変化球止まれる?」とか。自分と相手で会話をして、そのなかで目指す方向を決めていく。しかし、言葉だけでは誤解が生まれる。だからこそ役立つのは、道具である。


●道具をつかって感覚を共有する
正直なところ、まったく同じ感覚を持つことは不可能である。というか、それを検証する術がない。だからそのときに、必ず道具を使う。道具を使うことで、こちらが望む感覚を引き出しやすい。こちらが手本を見せて、「こうだから!」と言えばいい。多少説明はするけど、結局は「こう!」といって、「こうですか?」「違う!」、「こうですか?」「近い!」とか、そんな繰り返し。もちろんしばしば比喩も使うが、これが一番早い。



大事なのは「知覚」だということ。指導者としても、良い動作と悪い動作を「知覚」できなければ指導ができない。もちろんそれを適切に表現する必要があるので、「知覚」も「言葉」も両方必要になる。指導者の道は、1日にしてならず。


8月11日 東北学院vs愛工大名電

 8月11日 東北学院vs愛工大名電 5-3 東北学院〇 かんたんなまとめ:初出場の東北学院が優勝候補の名電を撃破。 140キロトリオと激戦区を勝ち抜いてきた名電だったが、東北学院伊東投手の前になかなか点を取ることができない。初出場かつ新聞記事C評価の東北学院、投打がかみ合い長打...