2018年11月4日日曜日

監督とコーチ③


監督とコーチ③



監督とコーチ①

監督とコーチ②



監督とコーチ①・②で、それぞれの役割について論じてきました。監督は最終調整役であり、コーチはそれまでの過程を担っています。料理で例えるなら、下準備をするのはコーチ、最後の仕上げが監督です。世界観を作り上げることが成果を上げる集団の特徴だとして、監督はその世界観を構成する構成作家であります。コーチは、そのなかで「踊れ」と言われた踊らねばなりません。これは言いなりになる、ということではないのです。監督が構成する世界を成立させる必要があります。それも、集団に必要な一部なのです。

結局両方共に求められるのはバランス感覚
つまるところ、監督・コーチに求められるのはバランス感覚であると考えています。野球はスキルが多いので、たくさんの練習をある程度求められます。「打つ・走る・投げる・捕る」という4技能です。そしてそれを相手に合わせて行わなければなりません。いわば「スキル練習」と「ゲーム練習」は別なのです。

「ゲーム練習」は、みんな大好き「ゲームノック・バッティング」「紅白戦」「練習試合」などがゲーム練習です。これらの練習はゲームを遂行する能力を高める練習になります。
「スキル練習」は、通常の打撃練習やノックなど、スキル向上のための練習です。

ゲームノックなどは、スキル練習のうちに入りません。練習にならないことはないですが、受ける本数が圧倒的に少ないことと、「判断する練習」がメインだからです。ある程度は量や時間を投資しないと、能力は成長しません。

反対にスキル練習をたくさんやることは大切なのですが、野球には必ず状況がくっついてくるので、その判断する練習をしなければなりません。かつ判断も短い時間のなかで実行する必要があるので、実際の試合でなければわからないことがあります。

つまり、スキルを伸ばしたいコーチと、試合に勝ちたい監督。ここが矛盾する点があるということです。試合に勝つためには、いくらスキル練習をしてもゲーム性を高めなければいけません。反対にゲーム性ばかり求めも、選手はうまくならない。往々にして、監督が練習プログラムを決定する権限を持っているようです。そこでゲーム性に関することを多く取り組み、個人のスキルが高まらない・軽視される傾向にあるように思います。いずれにせよ、「育成」と「勝利」のバランス感覚が、双方に求められるところです。


コーチは監督の目線を持ってみる
正直言えば、私も監督をしたことがあるわけではないので、よくわからないことだらけです。以前に1年間ほど下級生を監督する機会があったので、そこでコーチと監督の違いを感じたのが元になっています。

やはり自分が主導するようになると、以外と見えていない部分に気づきます。「時間管理」と「練習運営」で手一杯だったので、そのときは肝心の指導にまでなかなか行き届かないことが多かったです。そうなると、コーチがきちんと練習の意図を理解し、運営に協力してくれると助かりました。

やらなきゃいけないことや、やりたいことは、たくさんあります。1年後にはどういう集団・選手になってほしいか、を踏まえ、「1年間」のなかで、「どの能力」を、「どういった方法」で伸ばすか。そしてそれを細分化して今日のプログラムとして、どうやって落とし込むのか。監督はそこをいつも考えているのだ、と気づきました。とにかく時間との戦いですから、今日の練習で最大の効果を上げ、きちんと家に帰さなければなりません。これまで感じたことのない責任を感じました。


そしてそのなかで、試合に勝たなくてはならないのです。やはり監督は「見る」ことに徹したいですよね。私が監督ならば、指導するのもそうですが、「自分が教えなくても良い仕組み」をつくり、コーチと選手を「自走」させ、ゲームマネジメントに集中したいです。

そう感じたからこそ、コーチは勝敗関係なく選手との指導に徹する必要があると思うのです。とにかく選手を育成することを考えるのです。監督は時間管理をして、観察をしております。そこで私達コーチが指導をします。監督はある程度時間内で練習を回したいので、あまりオーバーして指導されるのは好まないと思われます(これは監督の好みでしょうが)。だから、練習をまわすために指導する際には時間に気をつけなければならないし、「時間対効果」を高めなければ多くの選手を教えることができないのです。

やっぱりスポーツっておもしろい
ラグビー日本代表には、数多くのスタッフがおります。昨日優勝したソフトバンク、ゲーム終了後には、選手たちがたくさんの球団関係者と握手をしておられました。優勝するというのは、チームが勝つというのは、たくさんの人の努力によって成立しています。決して監督と選手だけの手柄ではないです。数多に渡る支えがあって、はじめてそれが成り立ちます。だからこそ、「勝って恩返し」がしたいですし、野球ができることに「感謝」をし、現場にいるものは「人間性」を高めて成長していかなければなりません。

そう思うと、スポーツをするということは、そういった社会構成を学ぶことができる機会になるのです。これが「教育の一環」という意味だと思います。教育の一環という言葉ばかりが先走っている様子が、なくはないです。私が常々思うのは、本気で野球に取り組み、本気で成長を願うからこそ、「教育の一環」として人間性の成長があるのだと思います。私は、技術や野球自体を追求した先に、人間性の成長があると考えています。もっと成長したいと思ったときに、支えてくれる方々がいる。だから、その方々のためにも成果を出したいと思うはずです。そこが人としての成長であり、「人間力」なのだと思います。我々野球指導者は、その責任があります。







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