2018年11月1日木曜日

「感覚派」と「理論派」、大事なのは「知覚」


「感覚派」と「理論派」、大事なのは「知覚」


選手や指導者を分類するときに、「感覚派」と「理論派」にわける場合があるようで、「自分は感覚派だから」とかそういったことを表現する場合がある。正直なところを言えば、その分類に興味も関心もないし、統計を取る必要もないと思っている。結局のところ人間は皆「知覚」して生きているし、なにかを考えるときは筋道が通るように「理論的に」考えている。どちらかが優位な場合があるのかもしれないが、知覚がないところに理論は生じず、理論なくして高度は発展はありえない。


●見えている世界や感じる世界は全く違う
運動指導において、この「知覚」を逃すと、指導が成立しなくなる。指導する対象がどんな感覚をもっていて、どのように感じるのか。「もっとアッパーで入っていいよ」と指導する、本人が相当アッパーで打ってもちょうどレベルスイング程度であったりする。形式上はレベルスイングだが、本人がそれをアッパーだと捉えている場合がある。その違いをそもそも認識しなければならない。


●相手の運動感覚に入り込む
以前『運動学講義』(金子朋友)を懸命に読んだ時期がある。この本に、私にとって印象的な一文がある。

「その個人の運動感覚の世界で、どのように理解されているのかに注意を向けなくてはならない」
これは「運動修正における言語認識」という項目にある文である。もう少し簡単に言えば、「相手が受け取る感覚に気をつけて」になる。読んだときに大きく膝を打ったものだが、教えるときには相手の運動感覚に入り込むことが重要なのだと、私は認識した。


●プロ野球選手の「上から打て」は誤解
昨今よく話題に上がるのが「感覚と実際の違い」である。プロ野球選手の感覚では、スピードボールに遅れないために「上から打つ」ぐらいでちょうどいい。そもそも柔軟な肩甲骨や適切な身体技能を持ち合わせているために、「上から打つぐらいでちょうどいい」のである。プロからしたら上から打って打てているから、「自分はそう打っているのだ」と認識している。ここで大問題なのは、「上から」とは一切定義がされていないことだ。定義がなされていないことを教えることは非常に危険で、認識が違うから、間違った伝わり方をしてしまう。


●正しく伝えるためにはを感覚を合わせる
選手から質問を受けたときに、私から質問で返す。「もっと飛ばすにはどうしたらいいですか?」と聞かれても「飛ばすというのは飛距離を飛ばすってこと?飛距離を出そうとすると、多少は確率下がるけどいいの?」など。
飛ばしたいけど試合ではヒットを打ちたい、であればスイング起動は検討する必要がある。そもそも筋肉量が足りないかもしれない。もしくは可動域の問題かもしれない。色々話してみたりする必要はあるだろう。こちらから声を掛けることが多いが、そのときは動作を見てから決める。そして悩みを当ててみる。「もっと飛ぶ感じしない?」とか「変化球止まれる?」とか。自分と相手で会話をして、そのなかで目指す方向を決めていく。しかし、言葉だけでは誤解が生まれる。だからこそ役立つのは、道具である。


●道具をつかって感覚を共有する
正直なところ、まったく同じ感覚を持つことは不可能である。というか、それを検証する術がない。だからそのときに、必ず道具を使う。道具を使うことで、こちらが望む感覚を引き出しやすい。こちらが手本を見せて、「こうだから!」と言えばいい。多少説明はするけど、結局は「こう!」といって、「こうですか?」「違う!」、「こうですか?」「近い!」とか、そんな繰り返し。もちろんしばしば比喩も使うが、これが一番早い。



大事なのは「知覚」だということ。指導者としても、良い動作と悪い動作を「知覚」できなければ指導ができない。もちろんそれを適切に表現する必要があるので、「知覚」も「言葉」も両方必要になる。指導者の道は、1日にしてならず。


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