考えること・行動することはやめてはならない、そう思います。毎日でもブログを書きたい気持ちは山々なのですが、そうもいかないという制約があります。きっと皆様そうですよね、自分の好きなだけ、好きなことに費やせるわけではありません。1日は有限で、自分のために使える時間は、ほんのわずかしかありません。「1日がもっと長ければ良いのに」と、幾度思ったことか。それでもなお、成果を出したいし、自分の望む未来を作り出したい、そう思うわけです。
世の中には「いつ寝てるの?」という人がおります。四六時中職場にいる人、ものすごいスピードで仕事を仕上げてくる人たちがおります。反対に、「いつ仕事しているの?」という人もおります。楽しそうにお話をされていたり、余暇を充実させているのに、仕事が仕上がっております。どうしてそんなに時間の使い方が上手なのでしょうか?それに引き換え、私はどうしてこんなにもあらゆることが滞ってしまうのでしょうか?
私たちの周りには、あらゆる問題が眠っています。それに日々対処し、対処に追われ、対処に押しつぶされている。そんな生活をしている私です。本当は「緊急度が低い」「重要度の高い」ことをやらなければ、大きな成果が出ないんでしたっけ。そんなことを昔勉強したような気がします。日々私は「緊急度が高く」「重要度の低い」仕事に忙殺されています。
その仕事に対して、非常に大きな成果や差別化を図るほどのことを成し遂げるかと言われれば、そうではありません。直線的に考えれば、ゴールまでの時間がかかりますから、無駄なのかもしれないのですね。でもですね、それを循環的に考えると、その「緊急度が高く」「重要度の低い」ことを次々に捌くことが、私の肥やしになるわけです。その些末な事柄は、「話のタネ」となり、「ネタ」になり、良好な人間関係を築いていくことに効果があるのです。
今教員という職を四苦八苦しながら、なんとかやっています。「なんだかなぁ」と思うことだらけですが、それでももし違う職に就いたときに、「昔教員やってたんだけどさ」なんて話ができるかもしれません。それはそれで、僕のキャラになるわけです。私は監督をやりたいと思っていますし、野球に関わり続けたいと思っています。いずれの形であっても、無駄にはならないと思っているのです。
どんなときでも、今できる最善を考えます。時間があるときには、理想を考えます。理想どおりにことが運ぶならよいのですが、そうもいきません。ではどうしたら理想に少しでも近づくか?を考え続けなければならないのです。そして考えたら、動くのです。形に変えるのです。動いた事実をつくるのです。それを辞めたら、進歩はない。むしろ、どんな状況でも考え行動することで、道は開けるのです。だから、考えることや行動することを辞めてはならない。
僕はこうした、他の人から見たら意味がないようなことを考えることが大好きです。意味がないと思っているからこそ、僕にとって意味となり、僕の価値になります。これが僕のバリューです。
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