学んだ人間にこそ、道は拓ける。
日曜日の朝、たまたま「ボクらの時代」という番組を見ていました。これは30分のトーク番組で、いろんなジャンルの方々でトークをするというコンセプトだそうです。本当にたまたまテレビをつけたら、やっていたので見ていました。今回は奥田瑛二さん、井浦新さん、成田凌さんが出演されておりました。
お三方とも見たことあるのですが、名前まで一致はしておりません。「この人はこういう名前だったのか」ぐらいの記憶です。26年生きておれば、なんとなく見たことある俳優はたくさんいますよね。何気なしに見ていたのですが、やり取りのなかでハッとしたのでここに書き留めておきます。
話は奥田さんが主導で進めていきます。それに対してお二方が返したり言葉を紡いでいく。印象に残っているのは、たしか「変化」に関する話だったと思います。
井浦新「(意識が変わって役は)何でもやるようになった」
奥田瑛二「何でもやるようになるとどーなるか言ってやれ」
井浦新「何でもやると傷つく」
どうやら井浦さんはすごく影響を受けた監督さんがいて(若松監督)、大変影響を受けているとおっしゃっておりました。その監督さんに、「なんでも仕事はやってみろ」と言われたそうなんですね。井浦さんは、以前は仕事の選り好みがたくさんあったようなのですが、その方に言われたことで、実際にTVでもなんでも眼の前の仕事は何でもやるようになったそうです。
自分がもっているプライドとか、限界とか、できないこととか、とにかくやってみる。そんな言葉たちが井浦さんの口からこぼれておりました。僕は何を気にしているのだろうか?そんなことを思いました。「チャレンジ」という大層なものでもなくて、「まずやってみる」こと。できるかどうかは別であること。僕が目指していることは、できるからやるのか?きっとそうではないんです。眼の前に機会があるなら、やってみる。それだけなんですね。
ただ、なんでもやるようになっても、「傷つく」と仰っていました。
私は、ついつい自分に制限をかけてしまいます。「きっとこれぐらいだろう」とか「ここまではできる」とか「これはできない」とか。これがいわゆる「選り好み」ですね。選り好みして生きるのは、きっと楽なんです。僕だって「野球」の中にいるほうがずっと楽なので、野球に浸っていたい、そう思います。自分の落ち着ける、ストレスのない環境で生活したい、そう思います。自分は自分でありつづけ、知らない世界は知らない世界のまま。行き先の見える電車に乗って、そのまま走るだけです。行き先の見える電車のメリットは大きいですよね、安心・安全です。傷つくことは少なくなると思います。それはそれで良いことです。そのために生きている方々もおりますし、そういう方々がいるおかげで社会システムは成立しています。
ただ私は、その生活を渇望はしていません。より刺激的な世界に生きたい、新しい発見をしたい、知らない世界に行きたいです。自分が優位になっている状況は、きっとよくないのかもしれません。「知らないことがあり、学びが強制される状態」に自らを置く。この状況になるのが、よいのだと思います。論文を書かなくてはならない、授業をしなければならない、結果を出さなければならない、文章を書かなければならない。そうする過程で、人は成長していくはずです。これまでもそうでしたし、これからもそうでありたいと思います。
「学んだ人間にこそ、道は拓ける」僕はそう思います。僕は学び続ける人間でありたい、前に進み続ける人間でありたい、常にそう自分に言い聞かせています。「拓く」という字は、「開拓」などで使われます。これまで使われてなかった土地を、新たに使えるようにする。手にマメをつくり、土で汚れ、石で手を傷つけることもあると思います。そうしてはじめて、その土地が活用され、農作物によって多くの人の命が救われていきます。新たに何かをやるときには、必ず傷つく。しかしそれが、後世の人のためになるはずです。自分が開拓をして痛むことは、後世の野球人のためになるはずです。だからもっと、もっともっと、学び、動き、トライしなければなりません。傷ついたとしても。
僕の最大の武器は、この愚直さです。愚かなまでに正直です。愚直に学ぶことしかできず、愚直に取り組むことしかできません。こうして文章を書くことで思考力を手にしたので、今でも愚直に書き続けるのです。愚直さ故の苦しみがたくさんあります。それも後世の野球人たちが、野球を楽しめるのなら、僕はもっと愚直に学ぼうと思います。
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