「目的意識をもって練習をする」というのは、当たり前のことのように言われるが、案外それは難しい。むしろできる人が少ないからこそ、そうやって言われるのではなかろうか。そうも思えてきてしまう。
グラウンドでは「意欲」「姿勢」「向上心」など、そんな言葉が大きく貼られているチームもある。ミーティングでも「時間を大切に」「練習の質を上げる」など、そんな言葉が飛び交う。実際ひとつ上のカテゴリーに進んだとしても、こちらが想像していたより成長していない、むしろ下手になっている場合がある。果たして練習をしていないのだろうか?サボっているのだろうか?私はそうではないような気がしている。
時間が有限なのは、皆平等である。学生野球はもちろんだが、社会人であってもどんどん有望な選手が入ってくるわけだから、今すぐにでも上達して実戦経験を積み、有望株から自分のポジションを守らなくてはならない。しかしその限られた時間は、本当に有効活用されているのだろうか。
「時間対効果」をよく私は考える。今ある時間で選手が上達するために、何をしたらよいのか。その選択を常に迫られている。1時間教えてホームランが打てるようになるのと、15分教えてホームランが打てるようになるならば、確実に15分のほうがメリットが大きい。残りの45分は、別の時間に使うことができるからだ。そう考えると、指導する側にとって無駄な時間はまったくない。教えないときは観察の時間だし、教えているときは、自分の指導を考え直す機会になる。「選手の成長のため」に「短い時間でよい結果が生まれるよう」に「グラウンドで行動」する。これが私の目的意識だ。
私は一応大人なので、そうやって行動することができる。そして、できれば選手もこうして動くことができれば、より上達するのではないかと思う。
しかし目的を持つのは難しい。その目的のゴールが不鮮明であればあるほど、達成するのは難しい。「ハーパー選手みたいに打つ!」は見かけの問題なので可能だが、「ハーパー選手と同じぐらい打つ!」は非常に難しい。私達は高すぎる目標は、目指すことができない。手に届くところならば、重い腰は上がるものだ。つまり「スモールステップ」を、自分に課すことができるか、が大切である。見えない階段は登れない、登れる階段だけ登ることができる。
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