「わからない・できない・知らない」というストレスのなかに、身を置く。知らないことが多い環境の中では、自分自身が情けなくなる。「なんでこんなことできないのだろう」とか、「どうしてこんなことをやらなければならないのだろう」とか、そう思わざるを得ない環境でしばし生活をしてみる。そこで感じ取れることは、ある意味これまで自分が知覚してこなかったことである。自分が認知していた世界の外にあった、また別の世界である。ストレス環境下にいることは、自分の限界ラインが明確になるということである。
今日たまたまパスカルの『パンセ』を書店で手にとった。せっかくなので読んでみようと思って購入、時間があったのでしばらく読んでみた。これがまた、全然わからない。正確に言えば、「わからないところ」と「わかるところ」がはっきりしている。わからないところは、いくら丁寧に読んでもわからないし、全く想像がつかない。他の言葉やできごとで置き換える余地がない。おそらくそれは、自分が本当に知らないし心当たりもない領域なのだと思う。逆に知っているところは、想像できるし、例を考えることもできる。わからないときにイライラしたり不快感を感じるのだが、それはまさに自分の認知外なのである。
自分を成長させたいと思うし、より高い成果をあげるために、自分に制限を課して生活することが常である。それは本を読んだり、トレーニングをしたり、何らかしら自分のためになることを原則毎日行う。それは今できないことや、知らないことを、少しずつできるようになりたいと思うからである。必ずストレスが生じるし、いろいろ調べたり考えたりしなくてはならなくなる。でもそのストレスから解放されようと工夫することが楽しいし、考えることが楽しいし、前進している手応えを感じることができる。
知覚というのは末恐ろしい。同じ景色を見ても、人によって景色が異なる。成果を出している人間と、そうでない人間は、知覚の段階から大いに異なっているのである。その差は刻一刻と広がっていて、知らぬ間に離されてしまうのである。ストレス環境下のなかで新たな知覚を生み出し、自分の世界を拡大していく。「成長」とは、ひとつ「知覚の拡大」なのである。
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